「ロード・オブ・ザ・リング」で語られなかった人物から生まれたドラマ【藤津亮太のアニメの門V 114回】 | アニメ!アニメ!

「ロード・オブ・ザ・リング」で語られなかった人物から生まれたドラマ【藤津亮太のアニメの門V 114回】

映画『ロード・オブ・ザ・リング/ローハンの戦い』は、原作に記載の少ない王女ヘラの物語を描く。わずかな記述しかない人物像を膨らませ、どのような新しい物語が紡ぎ出されたのか?

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『ロード・オブ・ザ・リング/ローハンの戦い』は、語られることのなかった人物の物語だ。原作は『指輪物語 追補編』に記されたエオル王家の槌手王ヘルムにまつわる挿話。それが正攻法のスタイルのアニメーションで映画化された。
本作の3DCGと手描きの長所を合体させた制作スタイルは非常にユニークで、「求められるクオリティ」と「人的リソース」のミスマッチが顕著な今、ひとつの回答であると思うが、それについては、ほかで語ったりもしているので、本稿では本作のドラマがどのように語られていたかについて注目したいと思う。  

ローハン王国。ヘルム王の評議会に、アルドン川の近傍に広大な領土を持つ領主フレカが現れた。尊大なフレカと彼のことを信用していないヘルム。フレカはヘルムに自分の息子ウルフをヘルムの娘と結婚させるように迫る。物語はここから始まる。この原作には名前すら記されていない「ヘルムの娘」が『ローハンの戦い』の主人公ヘラである。  

わずかな記述しかない人物像を膨らませ、原作の記述――『追補編』の記述は『指輪物語』においては歴史に属する――を踏まえつつ、新たな物語を紡ぎ出す。この作劇のアプローチは例えば、小説を原作にした映画『バラバ』や、マンガそしてアニメ映画『アリオン』などに通じるものだ。

『バラバ』は、聖書でわずかに言及された、イエス・キリストの代わりに釈放された盗賊の物語。『アリオン』はポセイドンの息子(神話の中では馬として伝えられる)を視点人物に、ギリシャ神話を歴史物語として解釈した物語。いずれも本来の伝承の中では大きな存在でない人物に光をあて、そこから大きな物語を浮かび上がらせた。ヘラもまたそういう人物である。

物語の展開は非常にシンプルだ。
フレカは息子ウルフをヘラと結婚させろ主張する。しかしヘルムは、フレカの狙いがローハンの簒奪(さんだつ)にあると見抜き、その申し出を断る。その結果、ヘルムとフレカは、王宮の外で殴り合いの決闘をすることになる。槌手(ハンマーハンド。吹替ではハマハンドと発音)の異名のとおり、ヘルムは持ち前のその強力な拳の一撃でフレカを殺してしまう。
ウルフは復讐を誓って消え去り、やがて軍勢を整え策を講じて、ローハンへと戦争を仕掛けてくる。戦争の中で、ヘラの兄2人は命を落とし、最終的にローハンの民の運命は、ヘラに託されることになる。

ヘラという主人公は3人のキャラクターとの関係性を通じて描かれている。  
ひとりめは父親ヘルム。ヘラは父ヘルムを愛しつつも、ヘルムの自尊心の高さと闘争心の強さについては心配がちに見守っている。この彼女の心情は、序盤、遅れてヘルムとフレカとの決闘の場に来たときの、従兄のフレアラフに送る「もう止められないの?」という視線の芝居に表れている。
また彼女は聡明で、ウルフとの戦争に際してはフレアラフとともにヘルムに、慎重になるよう進言もする。しかしヘルムはウルフの軍隊の正面対決を選び、それがローハンを危機に陥れることになる。  

ヘルムとヘラの関係で重要なのは、終盤、ヘルムが彼女の前で膝をつくシーンだ。そこでヘルムは、ウルフとの戦いにおける自分の間違いを認める。ヘルムはヘラを守りたいと考えていたが、ヘラはすでに「勇敢で賢く、強い娘」に育っていたのだ。強き王が娘の前で膝をつくという演技と、そこで生まれるヘラとの視線のギャップ(フレームの中の頭の位置の高低差)が、ヘラがもうヘルムに守られる存在ではないことを視覚的に印象付ける。

続けて、その言葉を聞いたヘラはしゃがみ込んで、ヘルムと視線の高さを合わせるのだ。このお芝居が、ヘラの父への愛情の発露なのである。父の反省と娘の愛情を描いたこのシーンを経て、ヘルムは死を覚悟し、ヘラにローハンの民の運命を託すことになる。  
ヘルムの文字通りの立ち往生の姿で、手がアップになったとき、本来なら持っていないハンマーを手にした絵がインサートされるのは「ヘルムは、ハンマーハンドとして生き、ハンマーハンドとして死んだ」という作り手のイメージであろう。


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《藤津亮太》

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