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「きみの色」自分の“色”が見えない少女が“更新”されていく瞬間【藤津亮太のアニメの門V 110回】

『けいおん!』や『映画 聲の形』の山田尚子監督による最新作、完全オリジナル長編アニメ映画『きみの色』。少女たちそれぞれが向き合う自立、葛藤、恋の模様をまるで絵画のような美しい映像で描く。

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中盤、トツ子は修学旅行をキャンセルして、きみを寮に招いた一件で、一旦、実家に帰ることになる。自宅のマンションの一階にあるバレエ教室の前でふと足を止めるトツ子。そこに現れた母と、そのまま外で会話をすることになるトツ子。  

この帰省のエピソードは、台詞のレイヤーでは、母の「かばってあげたくなるような友達ができたんだね」という言葉が、きみとの関係性の深さを言い表すポイントになっているが、トツ子のドラマとしては別の部分に力点がある。そもそも、マンションの一室で繰り広げられても問題のない母との会話をわざわざ屋外で展開しているかといえば、それはトツ子に、幼い子供たちがバレエをやっている姿を見せるためだからだ。  

実際、トツ子は母を会話をしながら、子供たちのバレエの様子を見ている。その時、彼女の目は潤んでいる。これはおそらく、幼い頃の自分の姿を彼女たちに重ねているのだろう。そうして、思った以上に心に残っているバレエの挫折を、少し客観視できるようになりつつある自分を感じている。  

トツ子は、バレエを辞めてしまったこともまた「変えられないこと」だと思っていた。けれど、辞めてしまったことに縛られずに、「あのときの自分は一生懸命だったな」「今も自分はバレエを好きだと思っていいんだな」という自分を肯定してあげる感覚が生まれつつある。それは「『好きなものを好き』といえるつよさ」(山田尚子監督の企画書に書かれた言葉)が生まれてくる瞬間でもある。  

こうして帰省をきっかけにトツ子の中に変化が生まれ、それがクリスマスの夜の告白と、ふたりの演奏に合わせて、子供のころから憧れてきたジゼルを(少しだけ踊る)ということにつながる。こうしてトツ子の心を抑えているダムは徐々に崩れ始めていき、そこに最後の一撃が加わるのが学園祭の日だ。  

しろねこ堂の演奏の直前、きみから投げかけられた「トツ子は何色なの」という言葉。何気ない一言として聞かれたからこそ、トツ子は、これまで口にできなかった言葉を口にできる。「実はわからないんだ」。でもこれを言えたことで、トツ子は完全に解放されることになる。  

思えばあの日、トツ子が口からでまかせで言ってしまったバンド活動。でも、それがトツ子をそれまでよりもずっと遠い場所へと連れて行くことになった。それを通じてトツ子は「変えることのできるものについての変えられる勇気」(ニーバーの祈りの後半の一節)が、自分の中にもあることを知った。  

その実感を胸にトツ子は、ひとり中庭でジゼルを踊る。誰かに見てもらうためではなく、自分のための、自分を好きだなと思っている気持ちの表れとしての踊り。だからその瞬間、トツ子は自分の色が見えるのである。  

誰の心にもあるちょっとした影。誰が悪いわけでもなく自分が傷ついてしまった記憶。自分を縛っているそういうものを、トツ子は自力で乗り越えた。友達も親も大きな存在としていてくれたけれど、それは強力な触媒のようなもので、トツ子は自分の心の中に降りていき、自力で自分を更新した。  

その姿が因果関係が明確な図式として示されるのではなく、本当にトツ子が偶然の重なりの中で変化していくように描かれていることに、心が動かされる。


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[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。

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《藤津亮太》

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