村上春樹の短編を組み合わせた「めくらやなぎと眠る女」で新たに生まれた文脈【藤津亮太のアニメの門V 109回】 6ページ目 | アニメ!アニメ!

村上春樹の短編を組み合わせた「めくらやなぎと眠る女」で新たに生まれた文脈【藤津亮太のアニメの門V 109回】

村上春樹の原作を初めてアニメ映画化した『めくらやなぎと眠る女』。音楽家でアニメーション作家のピエール・フォルデス監督が、村上春樹の6つの短編を再構築した作品だ。

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本稿の読みを敷衍(ふえん)するならば、「私らしく生きていた」つもりが、小村との関係にはやはり不自然な部分――ヒロシの記憶の封印――があり、同時に小村はそこに踏み込もうとしなかった。ながらくキョウコは、あの日語られた「眠る女」のように生きてきたが、小村は丘の上の小屋に向かうことはなかった。  

だから小村は空気のような存在といわれたし、キョウコは地震(とそれにまつわる死)によって、自分も記憶を封印してしまったことに気付いてしまった。そして地震のショックで覚醒したのである。  
では、あらゆるものを失った小村は最終的にどうなったのか。そんな小村の覚醒が描かれるのが<7>になる。  

小村が猫のワタナベを探して進む路地。そして行く手を思い緞帳のように遮る草むら。これは小村が夢で見る風景の変奏であり、それにより小村は夢と現の狭間のような空間へと踏み込んでいく。そしてそこで出会った少女に仕事と妻のことを尋ねられる。そのことによって小村はようやく自分の心の底に降りていくことができるようになる。やがて誘われるように、ベンチの上で小村は眠る。この眠りの中で、小村の覚醒がようやく訪れる。  

目を覚ますと少女は不在で、雨が降ってくる。「空気」のようだった小村に、今度はようやく(怒りに続いて)悲しみの感情がやってくる。それは喪失をようやく受け入れることができたからだ。そうして小村は、会社にリストラの提案を受け入れると電話を入れ、キョウコにはメールを送る。「君はどこにいったんだい? ねじまき鳥は君のネジを巻き忘れてしまったのかい?」  
悲しみの中、誰かに連絡をとるという構図は『ノルウェイの森』のラストと通じる部分がある。  

『ノルウェイの森』は主人公が「会いたい」という気持ちを相手に電話をすると、相手から「あなたはどこにいるの」と問い返され、主人公は自分が「どこでもない場所」にいると気付かされる。つまり主人公は会話を通じて、精神的迷子になってしまった、ということに気付かされるというラストだった。  

こちらは構図は似ていながら、着地点は違う。小村は怒りと悲しみを通じてようやく自分というものを取り戻しつつある。むしろ精神的迷子の状態を抜け出しつつある。  

キョウコに送ったメールは、原作に出てくる(原作は出かけている妻から猫探しを頼まれるという内容である)「ワタナベ・ノボル/お前はどこにいるのだ?/ねじまき鳥はお前のねじを/巻かなかったのか?」という一節をアレンジしたものだ。ねじまき鳥とは、世界のネジを巻く存在だと、小村とキョウコの間で勝手に語られていた存在だ。  

主人公はその日を「出鱈目な年の、出鱈目な月の、出鱈目な一日だった」と語っているとおり、原作の一節は、あまりに不条理なことが続いたことへの嘆息のようなものだ。それに対して映画で小村が送ったメールは、他者を改めて理解しようとしている第一歩だ。誰もがそれぞれ世界を持っていて、それぞれの世界のネジをねじまき鳥が巻いている。世界にねじまき鳥は一羽しかいないわけではない。そしてそれぞれのねじまき鳥の動きがズレることもある。  

映画は、新しい部屋で新しい生活を始めたキョウコの姿で締めくくられる。そして彼女の荷物の中から、ワタナベ・ノボルも現れる。小村の知らないところでまた別の時間が流れ始める。  

本作の根底には「死者を挟んだ三角関係」もあり、長編化したことで結果として『ノルウェイの森』の構図に接近している部分がある。また村上が「消える女」というモチーフを繰り返し描いているのはよく知られているとおりだ。しかし本作はそうした村上の描いてきた「消える女」のその後を、描いた。それはパンフレットに寄稿された児玉美月の原稿にも指摘されているとおりである。  

フォルデス監督は、原作には書かれていなかった「小村にとって一番辛いこと」「キョウコが20歳の誕生日に願ったこと」など原作では空白の形で、読者に投げかけられた「問い」について、長編化される過程でちゃんと「答え」を用意している。そして一番大きな、原作の「問い」に対する「答え」が、「消えた女のその後」を視覚化することだったといえる。  


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[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。    

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《藤津亮太》

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