「ルックバック」少数精鋭の“線”が生み出す演技― たった60分の“出会いと別れ”が残す感触【藤津亮太のアニメの門V 108回】 | アニメ!アニメ!

「ルックバック」少数精鋭の“線”が生み出す演技― たった60分の“出会いと別れ”が残す感触【藤津亮太のアニメの門V 108回】

『チェンソーマン』『ファイアパンチ』などで知られる藤本タツキの短編漫画『ルックバック』が劇場アニメ化。2021年に「ジャンプ+」で公開するやいなや、著名クリエイターや漫画ファンの間で話題を呼んだ作品である。

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画面いっぱいに星空が映し出され、カメラがそのまま回転して、画面の“天地”がひっくり返る。これは誰かの視線なのだろうか。そう考えているうちに、カメラは地上を見下ろす俯瞰へと切り替えされ、それなりの高度から一軒の家の窓へと、背景動画で接近していく。またその部屋の机の上の4コマ漫画が描かれた短冊は、かさかさとかすかに動いてみせる。  

部屋では、窓に面した机に座ったひとりの小学生が、神経質に貧乏ゆすりをしながら4コマ漫画を描いている。後にわかることだが、このとき描いている漫画はオチに隕石を使うものだから、もしかすると冒頭の星空を見ているカメラは、彼女――名前は藤野――の視線だったのかもしれない。  
いずれにせよ映画『ルックバック』は、このように、原作にはないシーンからスタートする。この導入は、ある過去のアニメ映画の記憶を呼び起こさずにはいないのだが、それはまた後ほど触れることにしよう。  

藤本タツキの原作漫画による映画『ルックバック』は、漫画を媒介して藤野と引きこもりの京本が出会い、そして思わぬ別れを迎える様子を描く。60分足らずの尺で登場人物もほぼふたりだけといっていいコンパクトな映画だが、見終わったあとに残る感触はとても濃いものだ。  

濃さの最大の理由は、様々な取材やトークなどで関係者が語っているとおり、その作画にある。本作は8人の原画マンが約700カットを描き上げた(その中でも押山清高監督が修正作業も含め、膨大な量の絵を描いている)。これにより本作は、少人数による密度の高い作業でなければ達成できない、細かなニュアンスの積み重なった映像として完成した。原画のニュアンスを生かすため、動画の段階でのトレスをせず、原画の少しラフな線をそのまま画面に出していることの効果も“濃さ”に貢献している。
アニメーションの作画の魅力は、線をコントロールすることで、あらゆるものに“演技”をさせることができることだ。  

例えば京本の絵に打ちのめされた小学4年生の藤野が、田んぼの中の田舎道を駆けて帰っていくシーン。走る藤野が俯瞰のロングショットでとらえられたとき、ランドセルが走りに合わせて時折、控えめに光を反射するのだ。この反射を現すハイライトがチラチラと揺れながら現れるタイミングが、非常に心地いい。ここではハイライトそのものが演技をして、アニメならではの生命感を画面に宿らせていた。  

そして演技というなら、小学6年生の藤野が、やはり同じ田舎道を、雨に降られながら帰っていくシーンを挙げないわけにはいかない。卒業式の日、藤野は担任に頼まれて、不登校だった京本の家に卒業証書を持っていく。ここで藤野は、映画的としかいいようのない偶然の結果、京本と対面することになる。京本は、藤野を「藤野先生」と呼び、学年新聞で連載していた4コマ漫画のファンだったと語る。  

京本もあるときから、学年新聞に漫画を載せていた。京本の漫画にはストーリーや笑いこそないが、圧倒的な画力で描かれた風景は、藤野を圧倒せずにはいなかった。そして負けるものかと絵の練習を始めた藤野は、最終的に諦め、絵を描くことをやめてしまう。  

そんな京本が自分のファンだったとは。藤野の喜びは、不思議なスキップの形で溢れ出し、それが次第に不思議な踊りになっていく。原作では、最後の見開きも含めて、数葉の絵でしか表現されていないこのシーンを、本作は長い一連のシーンとして描き出した。藤野は、踊ろうと思って踊っているのではない。うれしさで体が自然と動いてしまっているのだ。その無意識にあふれ出してくるような動きの創出は、アニメーション史に残る名演技といえる。  


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《藤津亮太》

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