「ルックバック」少数精鋭の“線”が生み出す演技― たった60分の“出会いと別れ”が残す感触【藤津亮太のアニメの門V 108回】 2ページ目 | アニメ!アニメ!

「ルックバック」少数精鋭の“線”が生み出す演技― たった60分の“出会いと別れ”が残す感触【藤津亮太のアニメの門V 108回】

『チェンソーマン』『ファイアパンチ』などで知られる藤本タツキの短編漫画『ルックバック』が劇場アニメ化。2021年に「ジャンプ+」で公開するやいなや、著名クリエイターや漫画ファンの間で話題を呼んだ作品である。

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一方、演出的に印象に残ったのは、高校3年生になったふたりが袂を分かつシーン。ここは、先述の卒業式の日にふたりが初めてあった日と照らし合わせると、ぐっと意味合いが深くなる。
初対面のシーンは、京本の家から出てきた藤野が画面上手側にハケようとしているところを、追いかけてきた京本が呼び止めるという形で始まる。  

劇作家の別役実は「舞台には上手から下手に風がゆるやかに吹いている」というふうに舞台上の空間の意味合いを説明する。日本の映像作品の場合、このように上手下手に意味を持たせて演出する場合も多い。この初対面のシーンも、「上手から下手に向かって吹く風」を意識するとわかりやすい。  

下手にいる京本は、不登校だから、外へ出ることそのものがプレッシャーを感じている“逆風”の状態にある。しかし、藤野への尊敬がそれを上回って、“風”に逆らいながら上手へと進んでいく。背景に見える京本の家の壁が、画面に対して垂直線を描いて、ふたりの間の境界線となっているが、京本はその線を越えて藤野側の空間へ入っていく。
上手の藤野は、京本の画力に圧倒され筆を折ったことなどおくびにも出さず、投稿作を準備中だとを見栄を張る。そして上手側へとハケていく。  

一方、ふたりが袂を分かつシーンは、この初対面の状況を反転して描かれている。
中学から「藤野キョウ」のペンネームで合作を始めたふたり。高校卒業を前についに連載が決まる。このとき、京本は意を決して藤野に、自分は美術大学に進学したいので、連載の背景は描けないと告げる。  

舞台はいつもの田舎道。画面左(下手側)に前を歩いていた藤野が。画面右(上手側)に藤野の後ろを歩いていた京本がいる。そしてふたりの間には、大きな木が配置され、境界線として画面を藤野の空間と京本の空間のふたつにわけている。ふたりの間の距離が樹木で視覚化されている。  

続くカットで、カメラは田舎道の下からあおりで、道に立つ京本をフレームのほぼ中央にとらえる。画面下手側には、さきほどふたりの間の境界線として描かれた木が配置されている。この京本の空間に、“風”に逆らって藤野が境界線を越えて入ってくる。かつて京本が勇気を出して、藤野の空間に入ってきたように。しかし、京本の意思は固く、今回藤野は下手側に“風”に流されるようにハケていく。
初めての出会いと立ち位置の上下を入れ替え、藤野のハケる方向を逆にしたことで、「出会い」と「別れ」の意味合いの差が、より際立つようになっている。  

ここで重要なのは、藤野はただ下手にハケただけではない、ということだ。本作において、藤野(と京本)は、ほとんど左方向(下手方向)へしか進んでいかない。初めてもらった原稿料を手に東京で“豪遊”する幸福な時間もまた、手を繋いだふたりが、左方向へ進む映像として描かれている。むしろ初対面のとき、藤野が上手にハケるのは、極めて珍しい。  

この「ひとつの方向へ進んでいく様子」しか描かれないというのは、本作が「漫画家を目指して一直線に進んでいく物語」であるということと無縁ではないだろう。もちろん原作が漫画である以上、めくりの関係で、左方向への移動が登場しやすいということはあるだろう。だが、本作の方向性の徹底は、原作準拠である以上の理由を感じさせる。結果として、藤野は下手へハケただけでなく、彼女の進むべき道へ戻っていった、ということになる。  


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《藤津亮太》

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