そんな方のために、前回の記事ではアニメ評論家・藤津亮太さんにアニメレビューの書き方について詳しくお話を伺いました。
前回記事では作品の魅力を”圧縮”する方法や、自分が作品のどこに感動したのかを見つけるポイント、冒頭や文の最後に書くべきことなどを教えていただきました。
前回記事
>【プロ直伝】“アニメレビュー”ってどう書けばいいの? 藤津亮太が伝授する、たった1つの心得と3つの技今回は読者のみなさまよりご応募いただいたアニメレビュー記事を藤津さんに全て読んでいただき、全体的な傾向や改善ポイントについてコメントをいただきましたのでそれをお伝えします。
さらに、記事後半では実際にご応募いただいた作品の中から『プロメア』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』『君の名は。』を取り扱った3本のアニメレビューと、それを藤津さんがブラシュアップした原稿を併せてご紹介。何に気を付けてどのように書けばより読みやすく伝わる文章になるのか、プロのテクニックをぜひご覧ください!
[取材・文=いしじまえいわ]
[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。
■全体の傾向と対策「意識すべきなのは、何を書かないか」
――前回記事で募集した「藤津亮太のアニメ文章道場」ですが、読者のみなさんの書いたアニメレビュー原稿が30作品も集まりました。まずは総評をお願いします。
藤津:まず、30もの原稿をご応募いただけたことがありがたいですね。
――そうですね。編集部も正直驚きの数でした。中身についてはいかがでしたか?
藤津:印象的だったのは、どの原稿にも書きたいテーマがちゃんと明確に書かれていたことです。アニメレビューが30個も集まれば、中には「この原稿では何が言いたいんだろう?」というものもあるものですが、みなさんの応募原稿にはそういったものがありませんでした。
一方惜しいなと思ったのは、書くべきことと書かなくていいことを区別し、書かなくていいことは省いた方がもっと読みやすいだろうな、と思う原稿が多かったことです。設定したテーマはどれも面白いのですが、そのテーマをアニメレビューの目的に従って絞り込めているか? という点については結構差がありました。
――アニメレビューを書く目的ですか。それは「読んだ人にその作品を見たいと思ってもらうこと」でしょうか?
藤津:それもあります。人によって原稿を通じて自己表現をしたいとか小ネタを紹介したいとか様々な意図があると思うのですが、アニメレビューである以上一番大事なことは、その文章を読む人に「この作品はこんな特徴・注目点がある作品なんだよ!」というプレゼンテーションを成功させることです。「読者を説得する」といってもいいかもしれません。その結果、紹介されたアニメを「見たい!」と思ってくれたらいいな、と。
――実際に見てくれたら言うこと無しですね。
藤津:そうですね。それを一番の目的と考えると、作品の概要やあらすじなどは余程尖ったコンセプトの原稿でない限りは盛り込む必要があります。
また、あらすじ紹介だけで読んだ人に「見たい!」と思わせられることは稀ですので、筆者なりの切り口や発見を打ち出して読者に印象付けることで「へえ、そういう作品なんだ」と関心を持ってもらうことも必要になります。少なくともこの二点は必ず盛り込むべきです。
長い文章であれば副次的な要素も加えて徐々にグルーヴを上げていくといった書き方もできます。ですが今回の募集要項では2000文字以内という決まりでしたので、筆者の設定したテーマの純度を可能な限り上げ「この作品は〇〇だ!」という風にキーワード化して読者に印象付けるように書くのが最善手かなと思います。
――純度を上げるというのは、前回の記事で「作品内容を圧縮する」と説明されていたことと同じようなことでしょうか?
藤津:近い意味なのですが、少しニュアンスが違うのは、純度を上げるということは不要なものを取り除くという意味合いが強い点です。
――たしかに、不必要な文章が含まれた状態で圧縮しても純度は上がりませんもんね。
藤津:そうですね。だからこそ、何を書くべきで何を省くべきかの取捨選択が重要なんです。
■作品添削その1:『プロメア』レビュー記事
――それでは早速、ご応募いただいたアニメレビューと藤津さんによる添削の過程をご覧いただきたいと思います。最初の原稿は曙ミネさんによるアニメ『プロメア』のレビュー記事「なぜクレイ・フォーサイトの左腕は再生しないのか?」です。まずはご応募いただいた原文をご覧ください。
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『プロメア』(C)TRIGGER・中島かずき/XFLAG
※『プロメア』:『天元突破グレンラガン』『キルラキル』の今石広洋之監督と中島かずき脚本タッグによるTRIGGER制作の2019年劇場用作品。炎を操る人類マッドバーニッシュのリーダー・リオとそれに対峙する高機動救命消防隊バーニングレスキューの新人隊員・ガロの衝突をハイスピードかつシンボリックな映像で描いた。
- タイトル「なぜクレイ・フォーサイトの左腕は再生しないのか?」
自治共和国プロメポリスの司政官クレイ・フォーサイトが、自分が身体を再生できる<バーニッシュ>であるにも関わらず、失った左腕を再生しないのは、彼が自分が<バーニッシュ>であることを認めたくないからだ。
本作のなかに登場する<バーニッシュ>とは、30年前に全世界の半分を焼き尽くした大火災の引き金となった突然変異体たちのことだ。
そのなかで、今でも攻撃的なテロ活動を行う集団は<マッドバーニッシュ>と呼ばれている。
そして、そのテロリスト集団が引き起こす火災を鎮火するために活動しているのが、主人公ガロ・ティモスの所属する、高機動救命消防隊<バーニングレスキュー>だ。
物語は序盤、その対立の構図からスタートするのだが、ほどなくして<バーニングレスキュー>を組織しているクレイ・フォーサイトらプロメポリスの上層部が、実は<バーニッシュ>たちを捕まえて、人体実験を繰り返していたことが判明する。
また、テロ活動を行うとされていた<マッドバーニッシュ>たちは、クレイたちに捕まった同族を救出するために活動していたことが明らかになる。
その事実を知ったガロ・ティモスが、両者の争いとクレイたちの計画を止めるために活躍するというのが本作のストーリーだ。
だが物語の終盤で、これまで<バーニッシュ>を弾圧してきたクレイ・フォーサイト自身が、実は自分も<バーニッシュ>であるということが明らかにされる。
最終決戦において、クレイが昔、主人公のガロを助けたときに無くしたとされる左腕の義手から<バーニッシュ>であることの証明、バーニッシュフレアが燃え盛るのだ。
しかし、ここに矛盾が現れる。
<バーニッシュ>たちは、自分たちの身体は生きている間、何度でも再生できるはずだ。
これは、ガロが隔離施設から脱出してきた<マッドバーニッシュ>の首領であるリオ・フォーティアからそう説明されている。
また実際に、ガロがリオを人工呼吸で助ける場面では、ボロボロになり失われていたリオの身体は再生するのだ。
それではなぜ、クレイは自分の左腕を再生しないのだろうか?
クレイの左腕が無くなったのは、彼がまだ学生だったころ、<バーニッシュ>として初めて発作を起こしたときである。
クレイが町を歩いていると、左腕から突如としてバーニッシュフレアが噴き出し、クレイの腕ごと少年の頃のガロの家を燃やしてしまうのだ。
だがこのとき、<バーニッシュ>であるクレイは、自分の左腕を再生できたはずである。それなのにクレイは、自分の左腕を無くしたままにしておいた。
仮にもし、左腕を失いながらも、少年ガロを助けたという美談にしたかったとしても、義手を後から本物に取り換えることなど、司政官の彼ならいくらでもできたはずである。
だが、クレイは自分の左腕を義手のままにし、左腕として再生しなかった。
その理由は、左腕を再生してしまうと、自分が<バーニッシュ>であるということが客観的に証明されてしまうからである。
再生せずに義手のままでいることで、クレイは自分が<バーニッシュ>ではなく、子どもを助けた英雄としていられたのだ。
つまり、クレイは自分が<バーニッシュ>であることが、受け入れられなかったのである。
また、クレイはこの義手である左腕で、真相を知っても自分の考えに同意しないガロを殴り、計画を推し進めるため脅すかのようにエリスの肩に左手を置く。どちらも自分が<バーニッシュ>であることを否定しなければならない場面では、左腕がクローズアップされているのである。
つまり自分が<バーニッシュ>なのに、それを認めたくないというクレイの矛盾した気持ちがこの左腕に象徴されているのだ。
かくしてクレイは、学生の頃からバーニッシュフレアを鎮火する技術を研究し、地球のコアが<バーニッシュ>の力の源であるプロメアの巣であることを知ると、<バーニッシュ>に人体実験を行い、地球から脱出しようと試みる。
作品のなかで、<バーニッシュ>という人種は、自分からあふれ出る炎を燃やしたくてしかたがなく、それを我慢するのは耐え難いことだとされている。
だから、クレイが自分が<バーニッシュ>であることがばれてしまった後であっても、それを抑え込める自分は、他の<バーニッシュ>たちとは違うとあくまで主張する。
そして、義手からあふれ出るバーニッシュフレアで、ガロやリオたちと最終決戦を行うのだが、このシーンで彼の矛盾が最高潮に達している。
物語は最後に、この世界すべてのバーニッシュフレアが燃え尽きて幕を閉じる。
クレイは、もはや自分のアイデンティティーにもなっていた左腕を、永遠に失ってしまう。
だから最後に一言、「余計なことを」とクレイは言うのだが、彼は自分の左腕を失うことで、ようやく自分自身の矛盾から解放されて、ただの人間に戻れたのである。
こうしてみると、この作品はクレイ・フォーサイトという一人の男が、自分の左腕を本当に失うまでの物語とみることができる。
――着眼がとても面白いレビューだと思いますが、藤津さんの所感はいかがでしたか?
藤津:そうですね。クレイの左腕の意義について言い切っている点が素晴らしいと思います。これは大発見ですね。
だからこそ「失った左腕を再生しないのは、彼が自分が<バーニッシュ>であることを認めたくないからだ。」と冒頭で結論を言い切ってしまっているのはあまりに勿体ないです。言い切りは大事なのですが、結論そのものを最初に出してしまうと「こんなに長く書く必要ある?」と思われかねません。
――読者は冒頭で満足して離脱してしまうかもしれませんね。
藤津:また、あらすじの説明がやや長く、読んでいるうちに冒頭で掲げたテーマの印象を弱めてしまいかねません。ですので、可能な限りクレイにフォーカスしてあらすじをコンパクトにまとめるべきです。クレイがテーマなので、主人公であるガロやリオの説明さえ最小限に留めていいと思います。
――ではさっそく藤津さんの添削内容を頭から段落ごとに見てみましょう。なお、最後にはまとめて添削原稿を紹介します。
- 『プロメア』の終盤、自治共和国プロメポリスの司政官クレイ・フォーサイトが、「バーニッシュ」であったという驚きの事実が発覚する。バーニッシュは、突如発火能力などの特殊能力を持つようになった人々のこと。彼らは欠損した自らの身体を再生することもできる。だがクレイのかつて失われた左腕は義手のままだ。どうしてなのか。
藤津:元の原稿の言い切りで始まる書き出しは大変魅力的だったのですが、あまりに端的に原稿の結論を言い過ぎているかな、と思いました。作品を見た人だと「あっ(察し)」となって原稿の先を興味を持って読んでくれないかもしれないかなと。
そこで、疑問を投げかけるだけにとどめました。その過程でバーニッシュの説明が必要なので、最小限の説明だけここに入れました。
- バーニッシュは30年前の出現以来、人間と対立を続けてきた。現在はその大半は人類と共存しているが、一部の過激なグループはマッドバーニッシュと呼ばれ、テロを繰り返している。主人公ガロ・ティモスは高機動救命消防隊バーニングレスキューの一員として、マッドバーニッシュの起こす火災を鎮火するために活動していた。
街を燃やすマッドバーニッシュと、それを止めるバーニングレスキュー。ところが、この構図が物語の中盤で崩される。マッドバーニッシュのリーダー、リオ・フォーティアは、囚われて人体実験の材料として扱われている仲間を救うためにテロを繰り返していたのだ。そしてその人体実験を主導している人物こそ司政官のクレイだった。真実を知ったガロは、リオとともにクレイの計画を止めようとする。リオとガロクレイに対峙したその時、その左腕の義手から炎が吹き出す。クレイがバーニッシュであることが明かされた瞬間だ。
藤津:元の原稿ではこのあらすじをおいかける部分が長かったので、必要なものだけ説明してなるべくコンパクトにしました。ここは基本的にあらすじの解説ブロックですが、冒頭の対立構図が中盤で崩れることを強調し、最後にクレイがバーニッシュであることがわかるシーンを入れて本題に戻る感じにしました。
- クレイが左腕を失ったのは、彼がまだ学生だったころ。クレイが町を歩いていると、左腕から突如として炎が噴き出したのだ。この炎は、クレイの腕を焼き、ガロ少年の家を燃やしてしまう、この時、偶然にもクレイはガロ少年を助けた格好になり、左腕を失いながらも、子供を助けたという美談で市民から称賛されることになる。
彼はバーニッシュなのだから、この左腕を再生できたはずである。仮に義手をつけていることが市民に知られているとしても、彼の権力なら誰にも知られずに本物の腕に変えておくことだってできたはずだ。それでも彼は左腕を再生しなかった。
藤津:原稿の半ばを過ぎて、ここからが本題です。クレイについての原稿なので、ここからは極力クレイに絞っていきます。あと説明が多いと読んでいる人が立ち止まることも多いので、この原稿の一番いいところである「〆」に向かってスピードを落とさないように、なるべくダラダラ書かないようにしてきます。
- それは、左腕を再生してしまうと、自分がバーニッシュである事実が動かしがたい事実になってしまうからだ。再生せずに義手のままでいることで、クレイは自分がバーニッシュではなく、子どもを助けた英雄としていつづけられた。クレイは自分がバーニッシュであることが、受け入れられなかったのである。
藤津:ここは段落を作っただけで、基本的に文章はそのままです。
- クレイは、その左腕で自分の考えに同意しないガロを殴る。あるいはその左手を肩において、人体実験の担当者であるエリスに無言の圧力をかける。自分が、バーニッシュであることを否定しなければならない場面で、左腕がクローズアップされているのだ。自分がバーニッシュなのに、それを認めたくないというクレイの矛盾した気持ち。それがこの左腕に象徴されている。この矛盾は、この義手から吹き出す炎で、リオとガロと戦う瞬間に最高潮に達する。
藤津:結論に至る証拠はもう十分具体的に書かれているので、クライマックスのガロ&リオとのバトルについては、ここでは意味合いだけ書いてカットしてしまいました。
大事なシーンで左腕だけがフィーチャーされているかというと若干アヤシイ感じもありますが、とりあえずそこはそのままにしました。こういうところは可能なら全編見直して、間違いがないというところまで事実を固く確認しておいたほうがよいです。そして例外があることを指摘されても文意には変わりがないということを説明できるように、自分の中でロジックを決めておくとよいでしょう。
ここにもう一段落とって、元原稿のようにクライマックスの矛盾の構図を書いてもいいとは思います。ただ今回はなるべく最短距離で結論に行くことを意識したので、省いています。
- ガロとリオの活躍により物語の最後で、バーニッシュはその能力を失い、バーニッシュでなくなる。それを知りクレイは「余計なことを」と一言つぶやく。この時、クレイは、彼のアイデンティティーである左腕を永遠に失ったのだ。そして左腕を本当に失ったことで、クレイは自分自身の矛盾からようやく解放されて、ただの人間に戻れたのである。
藤津:元の原稿のラストも印象的ですが、若干言い過ぎというか理屈っぽさが前面に出て、その直前のエモーショナルな雰囲気が消えてしまうのがもったいなかったので、「左腕を本当に失う」というフレーズだけもらって、それを組み込んでラストの1文をつくってみました。原稿をシェイプすることで、原稿中の大事な言葉がより際立つ――言葉に埋もれないようにする――ことを意識してリライトしました。
――では、藤津さんのリライト後の文章を改めて通しで読んでみましょう。
- 『プロメア』の終盤、自治共和国プロメポリスの司政官クレイ・フォーサイトが、「バーニッシュ」であったという驚きの事実が発覚する。バーニッシュは、突如発火能力などの特殊能力を持つようになった人々のこと。彼らは欠損した自らの身体を再生することもできる。だがクレイのかつて失われた左腕は義手のままだ。どうしてなのか。
バーニッシュは30年前の出現以来、人間と対立を続けてきた。現在はその大半は人類と共存しているが、一部の過激なグループはマッドバーニッシュと呼ばれ、テロを繰り返している。主人公ガロ・ティモスは高機動救命消防隊バーニングレスキューの一員として、マッドバーニッシュの起こす火災を鎮火するために活動していた。
街を燃やすマッドバーニッシュと、それを止めるバーニングレスキュー。ところが、この構図が物語の中盤で崩される。マッドバーニッシュのリーダー、リオ・フォーティアは、囚われて人体実験の材料として扱われている仲間を救うためにテロを繰り返していたのだ。そしてその人体実験を主導している人物こそ司政官のクレイだった。真実を知ったガロは、リオとともにクレイの計画を止めようとする。リオとガロクレイに対峙したその時、その左腕の義手から炎が吹き出す。クレイがバーニッシュであることが明かされた瞬間だ。
クレイが左腕を失ったのは、彼がまだ学生だったころ。クレイが町を歩いていると、左腕から突如として炎が噴き出したのだ。この炎は、クレイの腕を焼き、ガロ少年の家を燃やしてしまう、この時、偶然にもクレイはガロ少年を助けた格好になり、左腕を失いながらも、子供を助けたという美談で市民から称賛されることになる。
彼はバーニッシュなのだから、この左腕を再生できたはずである。仮に義手をつけていることが市民に知られているとしても、彼の権力なら誰にも知られずに本物の腕に変えておくことだってできたはずだ。それでも彼は左腕を再生しなかった。
それは、左腕を再生してしまうと、自分がバーニッシュである事実が動かしがたい事実になってしまうからだ。再生せずに義手のままでいることで、クレイは自分がバーニッシュではなく、子どもを助けた英雄としていつづけられた。クレイは自分がバーニッシュであることが、受け入れられなかったのである。
クレイは、その左腕で自分の考えに同意しないガロを殴る。あるいはその左手を肩において、人体実験の担当者であるエリスに無言の圧力をかける。自分が、バーニッシュであることを否定しなければならない場面で、左腕がクローズアップされているのだ。自分がバーニッシュなのに、それを認めたくないというクレイの矛盾した気持ち。それがこの左腕に象徴されている。この矛盾は、この義手から吹き出す炎で、リオとガロと戦う瞬間に最高潮に達する。
ガロとリオの活躍により物語の最後で、バーニッシュはその能力を失い、バーニッシュでなくなる。それを知りクレイは「余計なことを」と一言つぶやく。この時、クレイは、彼のアイデンティティーである左腕を永遠に失ったのだ。そして左腕を本当に失ったことで、クレイは自分自身の矛盾からようやく解放されて、ただの人間に戻れたのである。
――クレイの左腕の謎の提示とその解明という形でテーマを絞ったことで、スピード感のあるレビューになった印象です。
藤津:元の原稿が約2000文字だったのに対し、リテイク後は1300文字程度にしています。
――そんなに短くなってるんですね! 1/3も減っているようには見えませんでした。これが純度を上げるということなのですね。
→次のページ:作品添削その2:『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』レビュー記事