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【プロの添削】よいアニメレビューを書くには? ~藤津亮太のアニメ文章道場~

アニメレビューの書き方をアニメ評論家・藤津亮太さんにお聞きしました。読者様による応募原稿を添削いただきつつ、具体的なノウハウを解説してもらいました。

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■作品添削その3:『君の名は。』レビュー記事


――最後の作品はゆーれいさんによる『君の名は。』レビュー「”現実”・カネから、「恋とエロ」とを守り抜け!」です。まずは原文をご覧ください。

『君の名は。』メインビジュアル(C)2016「君の名は。」製作委員会
『君の名は。』(C)2016「君の名は。」製作委員会

※『君の名は。』:新海誠監督による2016年劇場公開オリジナルアニメ作品。都内に住む男子高校生・瀧と都会に憧れる女子高生・三葉の身体が夢を介して入れ替わるところから始まる物語。国内歴代興行収入第4位(邦画としては第2位)を記録する大ヒット作となった。



    ■『君の名は。』は確かに「エロ」い。 ー 『天気の子』にも「性の香り」

    『君の名は。』には批判されがちな、性的な描写が散見される。主人公の瀧は、もう「片割れの」主人公である三葉と入れ替わった直後、己の胸を揉みしだく。宮水神社での三葉の口噛み酒は、赤く艶めく唇の作画、白く濁って枡(ます)へと注ぐ液の描写によって、神聖さ・なまめかしさが演出される。
    ところで、『君の名は。』に続く新海作品、『天気の子』にも「性の香り」が要所要所に匂いたつ。主人公の帆高は東京に来た当初、インターネットの情報を元に、性風俗店での従業員の面接へと向かう。ヒロインの陽菜もまた、粗野なキャッチに誘われて、ホテル街の店で働くことに一度は同意する。穂高がライター・須賀の事務所で働き始める際にも、須賀はそれを「インターン」と、彼の姪、夏美は「体験入店」と表現する。そして何より、帆高は陽菜の消失を、ラブ・ホテルにて経験することとなる。
    『君の名は。』と『天気の子』は、どこかが「エロ」い。では、このエロティックな・性的な表現が、ボーイ・ミーツ・ガールとしての「恋」と、そして両作品の根幹とどう「結び」つくのであろうか。本文章は、この問いに答えてみようとするものである。なお予め述べておくと、本文章では『君の名は。』と『天気の子』の共通項のみに着目する。

    ■「東京」「エロ」の両義性 ー 「エロ」が「カネ」に犯される

    『君の名は。』にて、東京は三葉の憧れとして描かれる。三葉は「東京って毎日お祭りみたい」と言い、奥寺先輩とのデートを心待ちにする。『天気の子』でも、東京は帆高の希望として描かれると同時に、「綺麗すぎる東京」とでも言わんばかりに、繊細で美麗な雨の描写で覆われる。その一方で同時に、東京は「現実」という重荷としても描かれる。『君の名は。』のラストにおいて東京は、帆高にとっては「うまく行かない就活」という現実が重くのしかかる場であり、三葉にとっては何かを待ち望んでいるような、灰色で満ち足りない日常の場である。より鮮明なのは『天気の子』で、東京の風俗街にはならず者のキャッチがはびこり、帆高のアルバイトを拒絶するような、残酷で冷たい、市場経済に基づいた「大人の世界」として描かれる。
    ところで、新海両作品における東京には「憧れ」と「現実の苦しさ」という両義性が込められていたのと同様に、エロティックな表現についても、新海両作品では「憧れ」と「カネに汚された現実」という二義性が込められている。『天気の子』においては言わずもがなである。東京に出てきた帆高が夏美の胸元から目が離せないシーンやラブ・ホテルでの陽菜の艶かしさは「憧れ」としてのエロティックなものを示す一方で、性風俗のキャッチは「売る」ものとしての性、経済とカネの世界を回すものとしての性として描かれる。エロティックなものは一面では憧れ、二人と超越的世界とを結ぶロマンスである。真実を知った瀧が再び過去へ、三葉の身体へと戻ったときに、泣きながら揉んで確認したのは自分の胸であった。「カタワレドキ」、三葉と瀧がついに生身で向かい合う「形割れ刻」であると同時に、再び記憶を失い離れ離れになるような「片割れ刻」であるような「誰そ彼時(たそがれどき)」のシーンにおいて、二人を向かい合わせたのは他でもない、エロティックな口噛み酒であった。カタワレドキという重大な時に、三葉は瀧が自らの胸を揉みしだいたことを問い詰める。もし「エロ」が重大な役割を持たないならば、この表現は冗長なものではなかろうか。なお、同作品が古典と伝統に依拠していることを考えれば、身体的エロスが「約束」と結びつくような、「契り」という言葉がこのシーンをうまく形容していると言いうるかもしれない。
    しかし同時に、『君の名は。』においても、「現実に犯されたエロ」は散見される。口噛み酒作成のシーンにおいては、四葉が口噛み酒の「商業化」を提案し、三葉が「酒税法違反」と跳ね除けたように、神聖でエロティックであるはずの口噛み酒が、カネ稼ぎの道具とされてしまい、それの当否は超越的な視座からではなく、現実社会の法によって裁かれることを仄めかす。付け加えるなら、滝の憧れの先輩、奥寺のスカートは悪質なクレーマーによって切り裂かれるシーンもまた、奥寺のスカートが一面では瀧の憧れである一方で、クレーマーにとっては性的消費の対象となり暴行を受ける。
    いずれにせよ、両作品において、「エロ」とは憧れ・神聖な世界のものであると同時に、カネと大人の暴力に容易に汚されてしまうものとして描かれる。

    ■「エロと恋」とを「カネと大人」からひっそり守る

    陽菜は性的消費の対象として己を差し出すことは避けたが、「天気の巫女」として己を世界に犠牲として差し出そうとする。陽菜と同時に、小説版『天気の子』によると元々小説が好きであったはずの帆高も、言わば売文に手を染める。帆高は売れる記事を書こうとするが、このときは「子供の世界」へと揺れていた夏美は、「圭ちゃん(須賀)みたいでつまらない」と言い放つ。「自己実現」と評されうるような「晴れ女の仕事」と売文業、「自分にしかできないこと」の裏に潜む犠牲と欺瞞とを、『天気の子』は暴き出す。そしてその欺瞞に気づいた、「子供の世界」こそが真実である、と気づいたがカネ、大人の世界に適合せざるを得ない瀧は、就活に苦労する。それでもなお、子供の世界を持ち続けることで、どこかで何かが「むすぶ」ような、そんな未来を、『君の名は。』は示す。


――新海誠監督作品をエロと金で斬るという、アグレッシブな印象の原稿ですね。

藤津:作品の比較論で伝えようとしているロジックは面白いですね。ただ、割と複雑なことを言おうとしているので、ごちゃごちゃした印象だけが残らないよう全体の整理は必要です。

今の原稿のままだと、ゆーれいさんが『君の名は。』について言っていることと『天気の子』について言っていること、どちらがどちらだったかが読後に分からなくなってしまうのではないでしょうか。

――たしかに、『君の名は。』の話なのか『天気の子』の話なのか、はたまた新海監督の作家性の話なのか、混乱してしまいそうです。

藤津:アイデアはいいので、ここからもう2、3回練り直すことで発見のある原稿になると思います。ここが粘りどころ、スタートですね。

――ここまで書いてやっとスタートなんですね。ちなみに「エロ」をメインテーマに据えること自体はアリですか?

藤津:エロに憧れと現実の厳しさという両義性があるというのは本稿の重要なポイントですし、雑誌原稿としては普通にアリと思います。

――ありがとうございます。それでは藤津さんの添削を見てみましょう。

藤津:本文に入る前に全体の構成についてですが、原文では2400文字ほどの原稿に小見出し的なものが3つ入っています。それぞれキャッチーなフレーズで大変面白いのですが、「見出し」による「まとまった感じ」に頼らないほうが文章の構成により意識が向かうと思うので、ここでは文章と段落構成だけでその3ブロックの変化を打ち出すという方向でリライトしてみます。

なお、段落毎に1行アキを入れると読みやすくなって原稿がすっきりした印象になるのですが、これについても小見出しの件と同様です。原稿が上達したい人は小見出しも1行アキも入れないで書く練習をした方がよいと思います。

――掲載用のレイアウト修正は通常編集の方が別途やってくれますね。執筆の段階ではぱっと見の見やすさで誤魔化さない方がいい、ということでしょうか?

藤津:そうです。文章同士がきちんと論理的に結びついて流れができていれば、文字が詰まっていても読みやすい原稿になるはずです。ですので書く練習をする段階では、見た目が整然としているかよりも「この作品はこうなんだ」「だからこのシーンはこうなってるんだ」「だからこのシーンにもこういった意味が読み取れるんだ」といった論理的な結びつきが作れているかどうかに気を払うべきです。

――これはゆーれいさんの原稿に限らず文章の練習をする上で気を付けたいポイントですね。

    『君の名は。』と『天気の子』はエロい。直接ナニかが映るわけではないが、日常の風景の中からチラチラと性の香りが漂ってくる。
     例えば『君の名は。』の主人公の瀧は、もうひとりの主人公、三葉と心が入れ替わった直後、驚きながらもまず己の胸を揉みしだく。宮水神社で三葉の口噛み酒は、赤く艶めく唇、白く濁って枡へと注ぐ液の描写によって、神聖さと同時になまめかしさが演出される。
    『天気の子』も、東京に出てきた主人公の帆高は、インターネットの情報をもとに性風俗店での従業員の面接へと向かう。ヒロインの陽菜もまた、粗野なキャッチに誘われて、ホテル街の店で働くことに一度は同意する。穂高がライター・須賀の事務所で働き始める際に、須賀はそれを「インターン」というが、彼の姪、夏美は「体験入店」と表現する。そして何より、帆高は陽菜の消失を体験するのはラブホテルである。


藤津:基本的には元の原稿に書いてあったことを整理しただけです。整理の第一段階として、まずエロいといってもどんなタイプのエロさかを加えています。元原稿では『君の名は。』はエロい、『天気の子』にも性の香り、と微妙に書き分けていますが、そこを共通点でくくりたいならその間の差異を表現すると読者が混乱するので、大きくまとめてしまいました。

「批判されがち」という本題に無関係なフレーズはカットしました。また『天気の子』ぐらいの描写で性の香りが「匂い立つ」と書くとさすがに「鼻が利きすぎでは?」という感じがするので(笑)、そこの表現も抑えました。「インターン」という単語はエロと結び付けない人も多いと思うのでエロワード扱いからはずしてみました。このあたりは人によって塩梅が変わるところだとは思います。

このブロックの最後の、エロティックな表現が~どう結びつくか、という一連のくだりは、原稿の短さに比して大上段すぎるのでカットしました。

次のブロックは元原稿では「東京」と「エロ」を並置する展開ですが、順番を変えてエロに込められた両義性について先に書き、それは「東京」という舞台とも重なるよね、という展開にしました。

    『君の名は。』ではこのエロさは、瀧と三葉の身体を介したボーイ・ミーツ・ガールを描く上で大きな役割を果たしている。
    三葉の身に何か起きたか、その真実を知った瀧が、再び三葉の身体へと戻ったとき、泣きながら揉んで確認したのは三葉=自分の胸であった。また夕暮れの中、瀧と三葉が生身で向き合うことを可能にしたのは、エロティックな描写で印象付けられた口噛み酒であった。
    そして三葉は、そんな大事な瞬間に瀧が自らの胸を揉みしだいたことを問い詰める。このくだりはコメディのように見えて、身体的エロスが「約束」と結びついた「契り」という言葉を思い出させる。本来なら「かはたれとき」と呼ばれる夕暮れの瞬間を、『君の名は。』では、方言という説明で、あえて「かたはれどき=片割れ時」と読んできた意味もここで明確になる。
    もちろん『君の名は。』に出てくるエロティックなシーンは、このように魅力的なものばかりではない。例えば、三葉の妹、四葉は口噛み酒の商品化を提案する。四葉本人は幼くて無自覚だが、三葉はそこに「(自分の)性の商品化」を感じ取り、酒税法を理由にはねのける。瀧のバイトの先輩である奥寺は、悪質なクレーマーにスカートを切り裂かれる。ここではエロティックなものが、金と暴力によって消費の対象となる残酷な現実が顔をのぞかせる。
    エロティックなものをめぐる2つの側面を描くこと。それは『天気の子』にも共通している。帆高が夏美の胸元をつい見てしまう、いかにも思春期男子らしいシーンや、ラブホテルでの陽菜の艶かしさは「憧れ」としてのエロティックなものを示す一方で、性風俗のキャッチの存在は「売るものとしての性」という現実の残酷な一側面を浮かびあがらせる。


藤津:第1ブロックではエロティックなシーンがあることを説明。第2ブロックではエロティックなシーンの役割と2つの側面が描かれていることを説明。第3ブロックではそれが「東京」の描かれ方と重なること。というふうに整理をしました。ここまで整理をしてあれば読者も混乱しづらいと思います。

「かたわれどき」をめぐるくだりは、生身で向き合うのところで「形割れ時」と漢字をあてているのか分かりづらいなど説明不足な感じなので、端的に短くしました。加えて「かはたれどき」を作中ではわざと「かたわれどき」と読み替えているところを拾ったほうが作中の言葉選びが意図的なことがわかるのでそれについて書き加えました。

ここで「憧れ」と「残酷な現実」とフレーズを固定し、以降はこの言葉を使うことで読者が論旨を追いやすくしています。抽象的な概念は文中であまり言い換えず、なるべく同じフレーズを使い続けた方が読者は混乱しません。

    この2つの作品には、「憧れ/残酷な現実」という側面をから描かれる存在が、エロティックなもの以外にも実はある。それは「東京」だ。
    『君の名は。』で地方に住む三葉は「東京って毎日お祭りみたい」と言い、瀧の体で奥寺先輩とのデートすることを心待ちにする。『天気の子』でも、東京は帆高の希望として描かれており、「綺麗すぎる東京」を強調するかのように、繊細で美麗な雨の描写が積み重ねられる。
    その一方で東京は「現実」という重荷でもある。『君の名は。』のラストで、東京は、帆高にとっては「うまく行かない就活」という現実が重くのしかかる場であり、三葉にとっては灰色で満ち足りない日常の場である。より鮮明なのは『天気の子』で、東京の風俗街にはならず者のキャッチがはびこり、帆高のアルバイトを拒絶するような、残酷で冷たい、市場経済に基づいた「大人の世界」としての顔がしっかり描かれている。
    東京が体現する「憧れ」と「残酷な現実」が大人の世界とするなら、エロティックなものから見える「憧れ」と「残酷な現実」は子供の世界とその限界だ。この2つは、「残酷な現実」の部分を接点にして、コインの裏表のように貼り付いている。


藤津:こうやって整理をしてみると、本題に東京があまり絡んでないことがはっきりしてきます。思いつきで書いちゃったという印象ですね。

――たしかに、原文では2つ目のブロック内限定のテーマで、冒頭にも結論にも絡まない要素ですね。

藤津:この東京に関わるブロックを省いてまとめにいってもいいぐらいですが、元の原稿にあったのでなんとか組み込むことにしました。そのために付け加えたのが最後の一段落です。若干力技ですが。

書こうと思っていることが図で書けるぐらい整理されたものになっているかどうかをしっかり考えてから書き出すと、こういうことは避けられるでしょう。

――伝えたいことを「図が書けるくらい整理する」というのは分かりやすい指標ですね。最後のブロックについてはいかがでしょう?

藤津:最後のブロックは、言いたいことは分かるのですが、いかにも未整理というか長距離走をして最後倒れ込むようにゴールに入った感じです。「ひっそり守る」と小見出しにあるのに文中に「ひっそり守る」ということについて何も書かれていませんから、ゴールテープを切ってない感もあります。

かなり多くの要素が詰め込まれているので、少ない文字数で書き切るには難しい夏美の件などはカットし、結論だけを端的に書くことにします。

また、原文のままだとフリに使った「エロティックなもの」が忘れられている感じがあり、「この結論なら別のテーマでも同じことがいえたのでは?」という感じがしてしまうので、最後に改めて触れています。結構苦し紛れな一文ですが、無いよりはあったほうがまとまると思い、入れました。

    そして『君の名は。』も『天気の子』は、コインがくるくると回転するように、大人の世界と子供の世界を行ったり来たりした後で、子供の世界に未来の希望を託すように映画を締めくくる。
    『天気の子』の陽菜は、“天気の巫女”である自分を差し出すことで、異常気象に見舞われる世界を救おうとする。それは“大人の判断”だ。だが穂高は陽菜をそこから救い出す。自己犠牲などという美しい行為は、世界が子供に強いる欺瞞だといわんばかりの力強さで。
    『君の名は。』の瀧は、就職活動という大人の世界に入る儀式のさなかでも、「なにか大事なことを忘れたような感覚」を持ち続けている。それは彼の中に子供の世界が息づいているからだ。そして瀧はついに、その「大事なこと」と巡り合う。
    「子どもの世界」の勝利で締めくくられる両作。そこで描かれる「(キス未満の)エロティックなものへの憧れ」は、「大人の世界」に抵抗する「子供の世界」の象徴なのだ。


――それでは続いて修正後の原稿をまとめて読んでみましょう。

    『君の名は。』と『天気の子』はエロい。直接ナニかが映るわけではないが、日常の風景の中からチラチラと性の香りが漂ってくる。
    例えば『君の名は。』の主人公の瀧は、もうひとりの主人公、三葉と心が入れ替わった直後、驚きながらもまず己の胸を揉みしだく。宮水神社で三葉の口噛み酒は、赤く艶めく唇、白く濁って枡へと注ぐ液の描写によって、神聖さと同時になまめかしさが演出される。
    『天気の子』も、東京に出てきた主人公の帆高は、インターネットの情報をもとに性風俗店での従業員の面接へと向かう。ヒロインの陽菜もまた、粗野なキャッチに誘われて、ホテル街の店で働くことに一度は同意する。穂高がライター・須賀の事務所で働き始める際に、須賀はそれを「インターン」というが、彼の姪、夏美は「体験入店」と表現する。そして何より、帆高は陽菜の消失を体験するのはラブホテルである。

    『君の名は。』ではこのエロさは、瀧と三葉の身体を介したボーイ・ミーツ・ガールを描く上で大きな役割を果たしている。
    三葉の身に何か起きたか、その真実を知った瀧が、再び三葉の身体へと戻ったとき、泣きながら揉んで確認したのは三葉=自分の胸であった。また夕暮れの中、瀧と三葉が生身で向き合うことを可能にしたのは、エロティックな描写で印象付けられた口噛み酒であった。
    そして三葉は、そんな大事な瞬間に瀧が自らの胸を揉みしだいたことを問い詰める。このくだりはコメディのように見えて、身体的エロスが「約束」と結びついた「契り」という言葉を思い出させる。本来なら「かはたれとき」と呼ばれる夕暮れの瞬間を、『君の名は。』では、方言という説明で、あえて「かたはれどき=片割れ時」と読んできた意味もここで明確になる。
    もちろん『君の名は。』に出てくるエロティックなシーンは、このように魅力的なものばかりではない。例えば、三葉の妹、四葉は口噛み酒の商品化を提案する。四葉本人は幼くて無自覚だが、三葉はそこに「(自分の)性の商品化」を感じ取り、酒税法を理由にはねのける。瀧のバイトの先輩である奥寺は、悪質なクレーマーにスカートを切り裂かれる。ここではエロティックなものが、金と暴力によって消費の対象となる残酷な現実が顔をのぞかせる。
    エロティックなものをめぐる2つの側面を描くこと。それは『天気の子』にも共通している。帆高が夏美の胸元をつい見てしまう、いかにも思春期男子らしいシーンや、ラブホテルでの陽菜の艶かしさは「憧れ」としてのエロティックなものを示す一方で、性風俗のキャッチの存在は「売るものとしての性」という現実の残酷な一側面を浮かびあがらせる。

    この2つの作品には、「憧れ/残酷な現実」という側面をから描かれる存在が、エロティックなもの以外にも実はある。それは「東京」だ。
    『君の名は。』で地方に住む三葉は「東京って毎日お祭りみたい」と言い、瀧の体で奥寺先輩とのデートすることを心待ちにする。『天気の子』でも、東京は帆高の希望として描かれており、「綺麗すぎる東京」を強調するかのように、繊細で美麗な雨の描写が積み重ねられる。
    その一方で東京は「現実」という重荷でもある。『君の名は。』のラストで、東京は、帆高にとっては「うまく行かない就活」という現実が重くのしかかる場であり、三葉にとっては灰色で満ち足りない日常の場である。より鮮明なのは『天気の子』で、東京の風俗街にはならず者のキャッチがはびこり、帆高のアルバイトを拒絶するような、残酷で冷たい、市場経済に基づいた「大人の世界」としての顔がしっかり描かれている。
    東京が体現する「憧れ」と「残酷な現実」が大人の世界とするなら、エロティックなものから見える「憧れ」と「残酷な現実」は子供の世界とその限界だ。この2つは、「残酷な現実」の部分を接点にして、コインの裏表のように貼り付いている。

    そして『君の名は。』も『天気の子』は、コインがくるくると回転するように、大人の世界と子供の世界を行ったり来たりした後で、子供の世界に未来の希望を託すように映画を締めくくる。
    『天気の子』の陽菜は、“天気の巫女”である自分を差し出すことで、異常気象に見舞われる世界を救おうとする。それは“大人の判断”だ。だが穂高は陽菜をそこから救い出す。自己犠牲などという美しい行為は、世界が子供に強いる欺瞞だといわんばかりの力強さで。
    『君の名は。』の瀧は、就職活動という大人の世界に入る儀式のさなかでも、「なにか大事なことを忘れたような感覚」を持ち続けている。それは彼の中に子供の世界が息づいているからだ。そして瀧はついに、その「大事なこと」と巡り合う。
    「子どもの世界」の勝利で締めくくられる両作。そこで描かれる「(キス未満の)エロティックなものへの憧れ」は、「大人の世界」に抵抗する「子供の世界」の象徴なのだ。


藤津:こうしてみると『君の名は。』の入れ替わり(胸揉み)に相当する、身体を媒介したコミュニケーションが『天気の子』の中に具体的に見つけられていないのが、論理の大きな穴になっていますね。

――たしかに、それが指摘できていれば比較論がもっと際立っていたように思います。

藤津:今回そこは見ないふりをして原稿を直しましたが、ベースのロジックがゆるい上にさらに「東京」という要素をそこに重ねたので、全体として何を言うかがどんどん不明瞭になってしまったという感じです。最後が子供の世界/大人の世界の話になるなら、最初からその線でまとめてエロティックなものに触れなくてもよかったのでは? という感もあります。

――たくさんの書きたいことが列挙できているので、ここからどう整理し絞っていくかが重要なんですね。そういう意味でここからがスタートだと仰ったのですね。

藤津:個別のアイデアは非常に面白いのに各個のパーツの精度が低いままなので、組み上がってもガタガタしているという感じです。もったいない、というか、惜しいというか。

まずパーツの精度を上げること。具体的には、『天気の子』の中に身体を介したコミュニケーションがあるかどうかを吟味することと、「東京」と「エロティックなこと」の間にどういう関係があるかを図で書けるぐらい考えること、この2点です。

そしてパーツを組み上げてみて書きたいことが明確になり、最初のアイデアが不要だと思ったらそれを捨てて書き直す、というぐらいの勇気が必要だと思います。


→次のページ:アニメレビューに必要な「勇気」「度胸」を得るためには?
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《いしじまえいわ》

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