「映像研には手を出すな!」浅草氏が目指す“最強の世界”とは? アニメ版のテーマを探る【藤津亮太のアニメの門V 第55回】 | アニメ!アニメ!

「映像研には手を出すな!」浅草氏が目指す“最強の世界”とは? アニメ版のテーマを探る【藤津亮太のアニメの門V 第55回】

アニメ評論家・藤津亮太の連載「アニメの門V」。第53回目は、2020年1月より放送中のTVアニメ『映像研には手を出すな!』を題材に、本作が何を描いているかを第1話「最強の世界!」を軸に分析します。

連載 藤津亮太のアニメの門V
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『映像研に手を出すな!』第1話「最強の世界!」は、アニメ『映像研』が何を描く作品なのかが、見事なぐらいギュッと圧縮されて描かれていた。

高校1年の春、浅草みどりはアニメ研の上映会で起きた事件をきっかけに、カリスマ読者モデルの同級生、水崎ツバメと知り合う。
子どもの頃、配信でTVアニメ『のこされ島のコナン』(見ればわかる通り『未来少年コナン』のことだ)を見て以来、アニメを作りたいと思っていた浅草。そしてアニメーター志望の水崎。
ここに浅草の旧友でプロデューサー気質の金森さやかが加わり、3人は「映像研」を発足させる。

こう書くとまるで「部活もの」のようだが、本作は「部活もの」とは言いづらい。「部活」というのは、いつか終わる学生時代、つまり「時間」というものと結びついている。
それに対して本作は、「時間」というよりも、「アニメーションの表現の魅力とは何か」という一種の哲学と結びつきが濃いし、さらにいうと「ものづくりの魅力と厳しさ」とも繋がっている。

「業界もの」ではなく、設定的には荒唐無稽な架空の高校を舞台にしながらも、そのコアの部分では、シビアにリアル(ここでは“世の真実”といった意味で受け取ってほしい)なものを描いているという点で、本作は非常にユニークな作品なのだ。

第1話のクライマックスは、設定を考えて建物やメカだけを描いていた浅草と、キャラクターばかり描いてきた水崎が、意気投合し、2人で「汎用飛行ポッド カイリー号」を合作するくだりだ。
絵を描くうちにカイリー号の世界に入り込んでしまう3人。3人は悪漢から逃げるためにカイリー号で飛び立つことになる。

「描いていた絵(アニメ)の世界に入り込んでしまう」という形で、3人が感じているその世界のリアリティを表現するという手法は、原作でもしばしば登場する、本作の特徴といえる。
アニメ『映像研』ではこのシーンを、鉛筆書きのようなラフな背景と水彩タッチのメカで表現し、効果音も人間が口で演じることで、イメージの中であることを映像で明確に描いている。

こうした「イメージへの没入」を何度か繰り返したうえで、前半の山場である第4話「そのマチェットを強く握れ!」がやってくる。映像研はここで初制作した短編を上映する。
アニメはこの短編のインパクトを表現するため、会場の生徒が爆風を感じたり、排出された薬莢がすぐ横に落ちているのを目撃するといった描写を入れている。

原作も最後の1コマで、短編の世界観の中にいる生徒たちを描いてはいるが、アニメのほうがもっと踏み込んだ表現だ。
この頂点を描くための最初の入り口が、第1話のカイリー号のシーンというわけだ。

カイリー号の発進シーンにはまだ注目すべき点がある。
アニメでは、カタパルトが作動せず、水崎と金森が押し出すことで、ようやくカイリー号は飛び立つという描写がある、
ここは第1話のアニ研上映会で上映され、浅草が絶賛していた『コナン』(『未来少年コナン』)に登場するフライングマシンのシーンと呼応している。

『コナン』に登場したフライングマシンは反重力装置で浮上して飛行する小型ポッドだ。
しかし当該のシーンでフライングマシンは装置の不調で、なかなかうまく浮上しない。そこでコナンが下から押し上げてやると、フライングマシンはふわりと浮かび上がる。

これは、反重力装置がある程度は働いているから重量が軽くなっており、手で押し上げてあげることができる、という描写だ。
手で触れて押し上げるという五感に訴えかけるシーンがリアリティをもって描かれているため、フライングマシンという未知の乗り物の存在感、反重力装置の効果といったものに実在感が宿るのだ、

それと同じ効果がカイリー号を押し出すシーンにも起きている。ぐっと力を入れて押し出されることで、ゆっくりと進み出すカイリー号。
ここでも、手で押し出すという演技と、ゆっくりと進み出す重量感が、カイリー号という存在にリアリティを与えている。
これはつまり、浅草が見てきたアニメの中の理想的な表現が、彼女のイマジネーションの中にしっかり生きているということでもある。

なお『コナン』は原作でも言及があるが、あのフライングマシンのシーンが選ばれているのはアニメ版のプラスアルファ。さらにカイリー号を押し出す描写も、アニメで加えられたものだ。
本作はこのように原作の狙いを押さえて、細部を豊かにするアレンジが随所に施されている。

このほかにも、水崎が作画の魅力や苦労を語る台詞は増量されているし、撮影台の使い方、回転する風車の中割の入れ方、コンピューターを使った自動中割の説明など、アニメにまつわるさまざまな情報・蘊蓄はマシマシになっている。
そうした細部が、アニメ制作の魅力を際立てることになっている。

カイリー号のシーンには、さらに別の意味合いも読み取ることができる。
カイリー号の世界に入り込む直前、浅草は「私が考えた最強の世界。それを描くために私は絵を描いているのだよ。設定が生命なんです!」と宣言する。
その時、浅草を取り巻いている世界は、彼女がスケッチブックに描いているレトロフューチャーなテイストのメカや建物が描かれている、

その後、カイリー号で飛び立った3人は、ビルの隙間をすり抜け、その外の世界に飛び出す。
そこに広がっていたのは、これまで見たこともなかった宇宙と地球が広がる巨大な風景。そこで浅草はつぶやく。「これが……最強の世界……」。

カイリー号で飛び立つ前に浅草が語っていた「最強の世界」は、浅草の中から湧き上がってきたものだった。
それに対し最後に見ている「最強の世界」は、「自分の中にはなかった未知の世界」として表現されている。

カイリー号が発進する時も、ビルの間をすり抜ける時も、水崎と金森の協力が欠かせなかったことを考えると、この「未知の世界=最強の世界」は、ひとりでは到達することができない世界を表していると考えられる。
ひとりでただ設定を描いていた浅草の「最強の世界」がこの時、更新されたのだ。

この一連のシーンはつまり、アニメ制作が集団作業であることと深く結びついている。
ひとりだけではできないことも、さまざまな人の力を借りることで可能になるのが集団作業の特徴。
「最強の世界」に至るには、浅草は“旅の仲間”や“共犯者”“協力者”を得ていかなくてはならないのである。

浅草のその立場を考えると、第6話「前作より進歩するべし!」で浅草が、美術部のメンバーと打ち合わせをするシーンも、短いながら意味は大きいことがわかる。
このシーンもまた、人とコミュニケーションをとることが苦手な浅草の“協力者づくり”の過程のひとつなのである。

また第4話で浅草が生徒会に対して啖呵(落語『大工調べ』の啖呵がベースになっている)をきるシーンも、単に生徒会に感情をぶつけているのではなく、浅草が「最強の世界」に近づくためにやっていることだ、と理解すると、あの必死の表情(浅草はこの時、緊張のせいだろうか、涙目になっている)の意味が見えてくる。

このように第1話のカイリー号のシーンは「イメージシーンが入る語り口を紹介する」「浅草たちが考えるアニメのリアリティを描き出す」「最強の世界にはひとりでは到達できないことを浅草に直感させる」という3つの役割を果たし、シリーズ全体が何を描こうとしているかを示している。
これらの要素は原作にも描かれているが、アニメはそれをより明確にくっきりと打ち出している。

こうして考えいくと、アニメ版の目指すドラマの到達点は、第2巻のあるコマなのではないかというふうに思われる。
この予想が当たるのかどうかも含め、アニメの後半戦の展開が楽しみだ。

[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。

《藤津亮太》

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