「こんな低予算では食っていけない」挑戦し続けるProduction I.G・石川光久社長の原点と理念【インタビュー】 | アニメ!アニメ!

「こんな低予算では食っていけない」挑戦し続けるProduction I.G・石川光久社長の原点と理念【インタビュー】

アニメサイト連合企画「世界が注目するアニメ制作スタジオが切り開く未来」の第17弾は、Production I.Gの代表取締役社長・石川光久にインタビュー。I.Gの前史を含めた歴史と未来のビジョンについてうかがった。

インタビュー スタッフ
Production I.G・石川光久インタビュー
Production I.G・石川光久インタビュー 全 21 枚 拡大写真
アニメサイト連合企画
「世界が注目するアニメ制作スタジオが切り開く未来」

Vol.17 Production I.G

世界からの注目が今まで以上に高まっている日本アニメ。実際に制作しているアニメスタジオに、制作へ懸ける思いやアニメ制作の裏話を含めたインタビューを敢行しました。アニメ情報サイト「アニメ!アニメ!」、Facebook2,000万人登録「Tokyo Otaku Mode」、中国語圏大手の「Bahamut」など、世界中のアニメニュースサイトが連携した大型企画になります。
全インタビューはこちらからご覧ください。


Production I.G代表作:『攻殻機動隊』シリーズ、『PSYCHO-PASS サイコパス』シリーズ、『黒子のバスケ』『ハイキュー!!』『銀河英雄伝説 Die Neue These』『B: The Beginning』『ULTRAMAN』

『攻殻機動隊』シリーズや『PSYCHO-PASS』シリーズなど、エッジの効いたアニメーションで国内外のアニメファンを魅了するProduction I.G(以下、I.G)。『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』『イノセンス』の押井守監督や『東のエデン』『ULTRAMAN』の神山健治監督など、時代を代表する作品やクリエイターを多数輩出し、さらに『進撃の巨人』のWIT STUDIOや『バースデー・ワンダーランド』のシグナル・エムディなどのアニメスタジオを生んだ派生元でもある。
そのアニメ界への影響力は計り知れない。

今回はI.G創業者であり代表取締役社長として敏腕クリエイターたちを率いて名作を生み出してきた石川光久氏に、その前史を含めた歴史と未来のビジョンについてロングインタビューを行った。
[取材・構成=いしじまえいわ]

Production I.G・石川光久インタビュー取材を行ったI.G本社ビルは、三鷹の住宅街に位置する。

Production I.G・石川光久インタビュー社屋1階にはピッツァレストラン「武蔵野カンプス」。スタッフもよく訪れるらしく、取材後、編集部も看板メニューのピザを堪能させてもらった。

Production I.G・石川光久インタビューエントランスに並ぶ代表作のポスター

Production I.G・石川光久インタビュー取材を行った応接室には、各種トロフィーがズラリ

Production I.G・石川光久インタビュー『攻殻機動隊 S.A.C.』とTC楽器のコラボ・ギター「TACHIKOMA GT」

■「アニメは、90パーセントはアニメーターさん次第」


Production I.G・石川光久インタビュー石川光久氏
――石川さん老舗アニメスタジオのタツノコプロからキャリアをスタートされていますが、何がきっかけでアニメ業界に入られたのですか?

石川:もともと「車人形」という文楽に似た人形劇の劇団に所属して、修行をしていたんです。その劇団は地方巡業などもしていたのですが、ある時海外公演が決まり、僕は置いてけぼりを食らってしまって。
劇団の海外公演からの戻りを待っている時にたまたま見たアルバイト雑誌にタツノコプロの募集が載っていて、どんな仕事かもわからないまま入りました。

当時は特にアニメが好きというわけではなかったのですが、『紅三四郎』や『マッハGoGoGo』のキャラクターデザインには惹かれていました。それらがタツノコ作品だと知ったのも入った後のことです。
でも、不思議な縁で、僕はこの世界に深くハマり込んでしまいました。

思い返すと、僕は元々人間が演じる歌舞伎よりも人形浄瑠璃文楽の魅力に強く惹かれていました。実写映画も好きでしたが、アニメにより深くハマったのも必然だったのかもしれないですね。

――タツノコプロさんではどんなお仕事をされたのですか?

石川:『黄金戦士ゴールドライタン』と『未来警察ウラシマン』の制作進行を合計1年3ヶ月くらい、その後にデスクやラインプロデューサーを4年間です。
特に制作進行をしていた1年間は寝られないくらい大変だったんですけど、原画や動画にたくさん触れることができて、すごく楽しかったですね。僕のアニメ人生の中でも一番楽しい時期だったんじゃないかなと思います。

この時、アニメは90パーセントはアニメーターさん次第なんだと理解しました。クオリティもスケジュールも、アニメーターさんとどう付き合うかが勝負だし、自分の人生の賭けどころはここだな、と思ったんです。

たくさんのスタッフが様々なセクションで働く現場のなかでも、アニメーターさんたちは気まぐれな神様のようなもので一筋縄ではいきません。賃金や契約などだけ整えてもダメなんです。ですのでアニメーターさんとの接し方には全神経を注ぎます。

――アニメーターを大事にされる気風は今のI.Gにも直接つながっているように感じます。

■I.G独立を支えたクリエイターと京都アニメーション


――タツノコ時代に他に得られたものはありますか? たとえば、尊敬する経営者の経営手腕とか……。

石川:そうですね……。むしろ当時は若かったこともあり、「せっかく優秀なクリエイターはいっぱいいるのに、経営者は無能だしゴルフや宴会ばっかりやってるし、やっぱり老害はダメだな!」と思っていたぐらいでした。
生意気にも、九里さんに向かって(九里一平、当時タツノコプロ代表取締役社長、『とんでも戦士ムテキング』キャラクターデザイン等)と「社長はクリエイターとしては尊敬していますが経営者としては無能ですよね」「お前は俺に一体何の恨みがあるんだ?」なんて会話をしたことを覚えています(苦笑)。

Production I.G・石川光久インタビュー
――なんと(笑)。ものすごく熱血というか、フランクというか……。

石川:自分が経営する側となった今では、当時の久里さんのお立場やお考えを少しは理解できるようになり、血気盛んな青年の主張とはいえ、自分はなんということを言っていたのだ……と思います。

――そういった思いがきっかけでタツノコプロさんから独立されたのでしょうか?

石川:そうですね。大きな会社の中にいられない優秀なアニメーターがどんどん抜けていくのを見ていて、組織としての限界を感じていました。
一方、なかむらたかしさん(『AKIRA』作画監督等)が『ウラシマン』のプロジェクトに招いてくれたり、真下耕一さん(『ウラシマン』チーフディレクター等)が僕の名前を特例的にオープニングにクレジットしてくれたり、クリエイターの方々にはとてもよくしていただきました。

そういったこともあって「どうせ辞めるなら自分が納得できるような、これからのアニメ業界を支えるような活きのいい若いクリエイターを中心にした作品を作ってからにしよう」と考えるようになりました。
そこで、その時期社内で企画が進んでいた『赤い光弾ジリオン』を自分に任せてもらうために優秀なクリエイターに可能な限り声をかけました。

なかむらさんや真下さん、スタジオ鐘夢(スタジオチャイム)を主催していた後藤(後藤隆幸、Production I.G 取締役)、当時大阪のアニメアールとムーにいた沖浦(沖浦啓之、『人狼 JIN-ROH』監督等)や黄瀬(黄瀬和哉、『攻殻機動隊 ARISE』総監督等、Production I.G 取締役)、西久保さん(西久保瑞穂、『みゆき』チーフディレクター等)、押井さんにもアルバイトで入ってもらいました。

また、仕上げでお世話になっていた京都アニメーションさんにも参加のご意向をいただきました。

Production I.G・石川光久インタビュー作業中の後藤隆幸氏
――錚々たるメンバーです。このスタッフィングについて思い出深いエピソードなどありますか?

石川:沖浦に声をかけた時のことです。彼は当時『ブラックマジック M-66』の作画監督をしていてとても多忙だったのですが、「たかしさんが『沖浦さんにやってもらいたい』と言っている」と伝えたうえで、たかしさんの原画とタイムシートを送ることを約束したんですね。
これが決め手になって仲間に引き込むことができました。

――アニメーターにとって優秀なアニメーターと一緒に仕事ができることがどれだけ価値があるかを理解していたからこそのネゴシエーションですね。京都アニメーションさんとはどういった接点があったのでしょう?

石川:京都アニメーションさんは制作の頃に仕上げをお願いして、スケジュールや予算管理のクオリティが本当にすごくて尊敬していたんです。個性派クリエイターを集めて現場がとっちらかったとしても京都アニメーションさんが協力してくれるならどうにかまとまると思い、直接お願いしに京都まで行きました。

独立の際に「石川が社長になればいいんじゃないの?」と言ってくださったのも八田さん(京都アニメーション代表取締役社長)ですし、会社設立のサポートや出資もしていただきました。本当に恩ばかりで今でも感謝しきれません。

Production I.G・石川光久インタビュー
――まだ作品の担当にもなっていないのにそれだけの賛同を得られたんですか。ちなみにその時おいくつでしたか?

石川:27です。

――すごい青年ですね……それで『赤い光弾ジリオン』の制作プロデューサーの座を手に入れられたんですね。

石川:営業の方も「石川たちにやらせてみた方が面白いんじゃないか」と後押ししてくれたのですが、最後は会社に号泣しながら直談判して、I.Gタツノコとして会社から独立する形で作品を任せてもらいました。
人前で泣いたのなんて初めてでしたよ(苦笑)。お金も必要でしたから、親や兄に自分が相続できる分からいくらくらいまで前借りできるかを確認したりもしましたね。

――そこまでして出ていったのに、社名には「タツノコ」を入れたんですね。その理由は?

石川「I.G」の方は後藤の案で、僕と後藤の頭文字からとったんです。タツノコと入れるのは僕の希望でした。
その方が仕事がを取りやすそうだったから……などの理由もありますが、やはりお世話になったのも間違いないので。人間、相反する二つの心を持っているものなんですね。


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《いしじまえいわ》

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