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「平成ゲームメモリアル第4回」洋ゲーの衝撃... 日本のゲーム業界に激震が走った【特集】

2019年4月30日をもって“平成”が終わります。この連載「平成ゲームメモリアル」は”平成”に発売されたゲームとそのムーブメントを振り返る座談会です。第4回は00年代後半の2005年から2010年ごろまでを振り返ります。

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平成ゲームメモリアル第4回「洋ゲーの衝撃―日本のゲーム業界に激震が走った」
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■世間からのゲームバッシングと停滞感―携帯機/携帯電話による日常へのゲームの浸透


葛西祝 G.SuzukiさんはPCゲームにシフトしていったんですよね。自分は「まだコンソールには何かできるんじゃないか」と思って触り続けていた感じです。

G.Suzuki 葛西さんはそうだったのですね。自分はゲームプレイ体験を拡大したいが故にPCゲームに飛び込んだ形でしたね。『BF1942』を筆頭としたPCゲームに心底惚れ込んで、夜遅くまでプレイしていたのが楽しい思い出でした。

またちょっと話を戻すと、2004年って『MGS3』や『エースコンバット5』の他にも、『Half-Life 2』や『DOOM 3』そして『Far Cry』の発売、セガとサミーの合併、PS3のBD搭載とNvidiaとのGPU共同開発の発表。


加えてPlayStation Portable(以下、PSP)とNintendo DS(以下、DS)、薄型PS2発売など今のゲームシーンに続く、ゲーム業界の変化と国内外の人気タイトルやハードが一斉にリリースされた年でもあるんですよね。

また当時海外のゲームエンジンは、HDRレンダリングを筆頭にグラフィックスとゲームエンジンの進歩が著しくて技術的にも驚きと感動に満ちあふれていました。


さらに2005年初頭には、RTSの様に指揮出来る司令官や分隊要素、武器アンロック要素を盛り込んだ『バトルフィールド2』が発売されていたりと、マルチプレイタイトルに関しても変化が起き始めていたんですよね。


葛西祝 あの当時から、海外のゲームメーカーがゲームデザインやゲームエンジンを先に進めていて、日本はちょっと止まっていた感じなんですよね。

加えて、国内のビデオゲームに対しての世論も悪い方向に流れてましたよね。代表的な出来事は、2002年に「ゲーム脳の恐怖」がNHK出版より発売されたことです。 脳科学者の森昭雄氏が書いた事で世間から注目を集め、ゲーム=悪の印象が強化されたり。

それだけではなく、『GTA III』の暴力表現も問題になって、神奈川県が有害図書に指定したり。日本国内では、ゲームは良くないイメージに流れていきました。

G.Suzuki そうでしたね。『GTA III』の衝撃が大きかったのか、2005年付近からゲームの暴力表現に関してのバッシングが多かったのを覚えています。神奈川県が『GTA III』有害図書指定に指定したのを切っ掛けにNHKでも特番が組まれていましたね。

葛西祝 テレビ番組で特集されたり、ゲームの表現が現実に近づくにつれて、『GTA III』のような暴力表現の過剰さが問題になったり……国内ゲームメーカーが次の一手を決めあぐねているなかで、世間の評価ではゲーム=悪という、80年代ファミコンブームから言われていた意見が公になっていきました。なので2000年代前半の国内のゲームって、とてもつらいムードがあるんですよ。

SHINJI-coo-K ちょっと停滞感のある時期でしたよね。

G.Suzuki00年代中頃は、洋ゲーの来襲、コンソールの停滞感、合併ラッシュ、暴力表現問題が同時に存在する「混沌(カオス)」と言うべき状況でしたね。

伊藤ガブリエル ゲームに対する評価や見方などさまざまな点が、この頃を境にまた変わっていった印象です。『GTA III』の一件から、日本でもCEROZ区分ができましたし。

G.Suzuki CERO Z区分の登場と施行による余波は現在でも続いていて、まだ2005年頃の問題を完全に解消仕切れていないのだなと思いますね。また同時期には、PSPとDSが発売していることに加え携帯電話のゲーム機能が年々向上し、ゲームを持ち運ぶことにも変化が起きていました。

FOMA世代の携帯電話で、2004年に登場したN900iに初代『ドラゴンクエスト』が、P900iに『ファイナルファンタジー』がプリインストールされ携帯電話でもRPGが遊べるようになったことは衝撃的でしたし、前述の2タイトルがキラータイトルとしても扱われていましたね。

このムーブメントに関係しているように思えたのは、2008年6月の『MGS4』発売近辺の「ゲームは暇つぶしになったのか」という街頭広告からでした。

携帯電話や携帯ゲーム機等によってゲームが日常へと浸透したことで「暇つぶしとしてゲームが遊べるようになった」と、幅広い層にとってゲームがそこまで日常的な存在になったことに驚きましたね。

葛西祝 当時はDSを買ってましたねー。『押忍!闘え!応援団』がすごく好きでした。キワモノに見せかけて、物語主導な音ゲーという。

伊藤ガブリエル 私はPSPと携帯電話でアプリを遊んでいて、PSPロンチタイトルの『メタルギアアシッド』はじっくりやりこんでいました。

また携帯電話では『アーマード・コア モバイル』シリーズや外伝の『女神異聞録ペルソナ 異空の塔編』など、ゲーマーに馴染みの深いタイトルが当時携帯アプリでどんどん出てきていましたね。私の大好きな『シルバー事件25区』も携帯アプリとして配信されました。

SHINJI-coo-K 自分は携帯機種ではPSPを触っていました。まず友人が持ってきたPSPを触らせてもらって、ゲームボーイを遊んでいたときの情熱がむくむくっと蘇って……という感じでしたね~。

G.Suzuki 自分はPSPを買っていました!コナミから出ていたFPSの『コーデット・アームズ』と、アニメ「攻殻機動隊 S.A.C.」をベースにしたepicsのFPS『攻殻機動隊 S.A.C. 狩人の領域』がやりたくて買いましたね。


同作以外のストーリーがしっかりと描写された日本産FPSをもうずっと待っているんですけれど、結局平成が終わろうとしているなかでも数多く出てこなくて寂しいです…。

PS3で発売が予定されていたコナミのFPS『Coded Arms Assult』は、ストーリーも期待していただけに突然の公式サイト閉鎖で発売無期延期になってしまったのが今でもとても残念ですね…。


葛西祝 DSは実験的な要素もあるハードでしたよね。タッチペンはじめ、ボイスや息の吹きかけまで操作に入るという。それらの機能を生かして『赤ちゃんはどこからくるの?』といった変化球みたいなタイトルが出てましたよね。



SHINJI-coo-K DSってなんだかガジェット感があって、ゲーム機なんだけど従来のゲーム機に収まらないものを持っていて、その自由さみたいなものがWiiに繋がったのかなと思いますね。色んなものをハードに仕込んであるからゲームメーカーは自由におもしろい発想を活かしてくれよな!っていう。

G.Suzuki DSはピクトチャットやすれ違い通信などローカル間で繋がる機能が印象的でしたね。友達からよく聞いたエピソードでは、東京ゲームショウやコミケなどイベントの待機列で待っている間にDSのピクトチャットを使って、その場にいたDS持ちの参加者と色々な世間話を話したとか。

伊藤ガブリエル この頃にはもう、携帯ゲーム機同士の無線通信が標準でできるようになっていて、近くの人と気軽に遊べるようになりましたよね。そういったチャットを楽しめるのは良いなあ…!私自身DSの初期の頃は遊んでいませんでしたが、CM効果もあってか、『nintendogs』や『脳を鍛える大人のDSトレーニング』のイメージが強かったです。

G.Suzuki 一方のPSPにもアドホックモードなどインターネット/ローカル間で繋がる機能がありましたが、それらが本格的に活用されたように感じるのは後に発売されたPSP版の『モンスターハンター』からのように感じましたね。

またPSPでは『グラディウス ポータブル』や『メタルスラッグコンプリート』など、シリーズ全部入りパッケージのタイトルも多かったですね。


加えて、2005年には11月22日にアメリカでXbox 360が、12月10日に日本で発売されて、コンソールにも高精細なグラフィックが入るようになってきましたね。

翌年の2006年に家電量販店でプレイアブルデモとしてタイトーのフライトシム『Over G』が展示されていたのが何故か印象に残っています。


SHINJI-coo-K フォトリアリスティックなゲームが説得力を持ち出しましたよね。それに、今となっては一般的なゲームのトレイラー映像も、その2005年に生まれたYouTubeによるところが大きいと思います。改めて振り返ると、この頃からゲームと動画が親密になったような印象がありますね。

G.Suzukiトレイラーの映像は確かに、それぐらいから重要になってきた印象がありますね!一方でユーザー間におけるゲームとプレイ動画に関しては、YouTube以前だと自分でキャプチャーした映像を自分のホームページ等で公開する流れが主流でしたが、動画サイトに投稿してプレイ映像を鑑賞する流れが2005年付近から生まれるようになりました。

また強豪FPSプレイヤーやクランによるフラグムービーや、ゲームを使い映画のように映像を制作するマシネマ(machinema)など、国内外問わず流行りましたね。

国内の映像制作団体BF1942Movie:JPN制作の「Leave No Man Behind」を筆頭に多種多様な映像がありました。ゲームの実況配信については、2005年より少し前にP2P方式のライブストリーミング配信ソフトウェア「PeerCast」を使って独自にゲームを実況配信し小さなコミュニティを確立する文化がチラホラと誕生しはじめたのを覚えています。またE3のプレスカンファレンスをストリーミング配信するようになったのも2008年ぐらいだったのを覚えています。

葛西祝 Xbox 360を遊んでいて、海外のゲームからすごいものが出てきたと思ったのは『ストラングルホールド』なんですよ、チョウ・ユンファ主演・ジョンウー監督のゲームという。


『マックスペイン』のゲームデザインを使いながらも、往年の「男たちの挽歌」シリーズのアクションをHDで実現しているんです。映画とゲームの近づき方ってことでは、実在の俳優と映画監督が作ったわけですから衝撃的なタイトルでしたよ。

伊藤ガブリエル 自身のプレイを他者に見てもらうという、今でいうところのゲーム実況はこの頃から始まっているのかもしれません。ゲームプレイ映像のみもありましたし、音声を一緒に録音しているものもありましたよね。

G.Suzuki YouTubeが本格的に映像配信サイトとして使われるようになるのはGoogleによる買収の後と機能の拡張後でしたが、それと同時期に一時期ニコニコ動画が国内でゲームプレイ動画投稿のメジャーな場所として使われていましたね。

伊藤ガブリエル ニコニコ動画の、ユーザーが書いたコメントが動画とともに流れるというのは当時本当に画期的でした。私自身今も暇さえあれば見ています。こうした動画へのコメント機能が、ゲームプレイ動画と合わさるとさまざまなユーザーが感想を書いたり、意見を交わしたりと、多くの楽しみ方ができるということで、非常に親和性がありますよね。

G.Suzuki 確かに!今思えばユーザーがゲームに対する評判や評価を判断する基準が、今までの文字だけでなく映像にまで拡大することで、より説得力を持つようになったと感じます。

話を戻すと、Xbox 360発売から約1年後の2006年11月11日には国内でPS3が、12月2日にはWiiが発売しています。PS3は、デモで使われた映像がとても衝撃的で「今まで独自に発展してきたPCゲームはどうなってしまうのだろう…」と少し不安になりましたね……。

それに加えて、PS3は当初2006年5月に価格が発表された時に比較的低価格な20GB版の価格が6万2790円(税込)とPS2発売時より高額なことにも、大きな不安があったことは覚えています。

しかしながらその後のTGS 2006では49,980円(税込)と価格改定されて、価格が下がった事には安堵感を覚えつつも頑張って手を出すにはまだまだ難しいといった印象を受けました。


伊藤ガブリエル PS3のデモ映像は非常に魅力的なものが多かったですよね。その分値段も高くなるのだろう……やっぱり高かった!という。しかし、タイトルのラインナップに加え、後方互換が(初期型のみPS2互換がありますが)PS1/PS2ともに付いていて、メモリーカードもHDD内に仮想カードを作れるのは本当に嬉しかったです。

Xbox360やPS3、Wiiという3ハードがコンソールの主流になっていくなか、PCゲームにも力が入っていきますが、PCゲームタイトルがコンソールへ移植されるというのもこの頃からより目立っていったような印象があります。それ以前にも移植タイトルはありましたが、より多くのユーザーに浸透していったというか。

G.Suzuki そうですね、PCゲームのコンソール移植自体は、『HL2』や『DOOM 3』などPS2やXbox時代にもありましたが、PS3/Xbox 360時代から本格的になりましたよね。それと共に、PCだけでなくPS3/Xbox 360向けにもタイトルをリリースするマルチプラットフォーム時代にも入っていきましたね。

葛西祝 PS3/Xbox 360と出そろった当時、Wiiのやっていることに注目していました。世間に目を向けつつ、同時にアヴァンギャルドなゲーム機だったので。ハイクオリティな処理能力を捨ててまで、何をやったのか?って振り返っていくと面白いんですよ。

2000年代初めの、世論で形成されつつあったゲーム=悪のイメージや、業界の保守的な状況に対し、任天堂がWiiとDSでやったことって、負のイメージへのカウンターというのが強かったんです。

さっきも「ゲーム脳の恐怖」について話しましたが、あれはゲームメディアも、心ある識者も満場一致でデマや偏見でしかない本だった、と結論付けています。だけどその結論は世論を変えるまでには至らなかった。そこで任天堂はプラットフォームホルダーの立場から、カウンターを打ったんじゃないかと思ってます。

『脳を鍛える大人のDSトレーニング』って、まさしく「ゲーム脳の恐怖」に対するカウンターでしたよね。脳科学者である川島隆太教授に監修してもらって、ビデオゲームは脳科学的にも問題ないよって打ち出していたんです。

Wiiはさらにそれを推し進めてましたね。世論でマニアックに思われ、ひとりでゲームプレイに没入しつづけるイメージから、徹底して家族や祖父母と集まって、コミュニケーションを取りながら遊べるイメージ戦略を徹底していました。


SHINJI-coo-K「ゲーム脳の恐怖」は、世間のゲームに対する冷たい眼差しを補強したと思うんです。悪いイメージを持つ者の根拠にされたというか。だからどれだけ言葉で反論してもなかなか説得できない。そこで『脳を鍛える大人のDSトレーニング』で「むしろ脳を鍛えられちゃう」って事をやる、このカウンターってすごく意義深いものだったし、それを任天堂がやったっていうのは今に繋がるゲームのプラスイメージを助けているんじゃないかなと思います。

葛西祝 ただ、当の川島隆太氏も、2016年にはゲームと脳に関するリサーチを発表しています。こちらは「ゲームをすること自体が悪いとは思わない」と前置きしつつ「ゲームの恐ろしいところは、いくらでも多くの時間を注ぎ込めることだ」と語っており、川島氏自体はフラットな立場でゲームを捉えていたと思いますね。

SHINJI-coo-K おお!中立的!この両方の視線が偏りなくあってほしいんですよね。ゲームのプラスもマイナスも過度にイメージを押しつけないというか。2000年代半ばはまだカウンターのフェイズだったのかな、と思いました。ちょうどゲームのレーティングの話題が熱かった時期のようにも思います。

葛西祝 そうですよね。任天堂がWiiとDSで行った、ゲーム=悪へのカウンターはすさまじくて、そのまま2007年前後の大ヒット商品にまで上り詰めました。ゲームデザインを社会に応用する「ゲーミフィケーション」って言葉があります。Wiiが活躍していた時代を再検証すると、当時の任天堂がゲーミフィケーションの最大の成功例だったんじゃないかって思いますよ。僕の家でも買いましたし。『Wii Fit』。

SHINJI-coo-K 脳どころじゃなく身体まで鍛えられちゃう!改めてその流れってすごい(笑)

葛西祝 ゲームばっかりやってると体に悪いという世論へのカウンター!(笑)

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