タツノコプロに訊く!「ガッチャマン」から「キンプリ」まで、伝統と新しさでアニメシーンを牽引【インタビュー】 | アニメ!アニメ!

タツノコプロに訊く!「ガッチャマン」から「キンプリ」まで、伝統と新しさでアニメシーンを牽引【インタビュー】

アニメサイト連合企画「世界が注目するアニメ制作スタジオが切り開く未来」の第9弾は、タツノコプロの代表取締役社長・桑原勇蔵氏と、制作部部長・大松裕氏にインタビュー。同スタジオはいま何を考え、何を目指しているのか、作品はどう生まれるのか聞いた。

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タツノコプロに訊く!「ガッチャマン」から「キンプリ」まで、伝統と新しさでアニメシーンを牽引【インタビュー】
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アニメサイト連合企画
「世界が注目するアニメ制作スタジオが切り開く未来」

Vol.9 タツノコプロ

世界からの注目が今まで以上に高まっている日本アニメ。実際に制作しているアニメスタジオに、制作へ懸ける思いやアニメ制作の裏話を含めたインタビューを敢行しました。アニメ情報サイト「アニメ!アニメ!」、Facebook2,000万人登録「Tokyo Otaku Mode」、中国語圏大手の「Bahamut」など、世界中のアニメニュースサイトが連携した大型企画になります。

全インタビューはこちらからご覧ください。




日本にアニメスタジオは数多いが、タツノコプロの存在は格別だ。
設立は1962年、今年で創業から56年になる。国内でも有数の歴史を誇る会社である。また多くのアニメ会社がタツノコの影響を受けて誕生し、「日本アニメの3大源流」の1社とされる。

その長い歴史の中からは『マッハGoGoGo』『科学忍者隊ガッチャマン』『タイムボカンシリーズ』など数々の傑作が世に届けられた。さらに近年は『KING OF PRISM』のような大ヒットも生まれており、伝統と新しさが融合するスタジオでもある。

そんなタツノコプロは、いま何を考え、何を目指しているのか、作品はどう生まれるのか。
代表取締役社長の桑原勇蔵氏と、制作部部長の大松裕氏にお話を伺った。
[取材・構成=数土直志]






■当時としてはありないクオリティーの『マッハGoGoGo』


――タツノコプロの始まりから教えていただけますか?


桑原勇蔵社長(以下、桑原)
吉田竜夫を中心とした3人の兄弟が、1962年に作ったマンガのスタジオが始まりです。
アニメの第1作は1965年の『宇宙エース』でした。もともと東映動画(現東映アニメーション)さんと一緒にやっていたプロジェクトが頓挫して、それをタツノコが引き取ってリリースしました。

――1960年代ですと、まだアニメスタジオはほとんどないですよね。

桑原
そうですね。タツノコプロ(当時竜の子プロダクション)もマンガの会社からアニメを作ろうと、東映動画さんに研修に行って技術を学びました。
いま当社の顧問である笹川ひろしが中心となってです。

――初期の代表作は?

桑原
『マッハGoGoGo』ですね。当時は当社の『宇宙エース』もですけど、アニメは簡略化した絵を動かしていました。
ところが創業者の吉田竜夫はアメコミのような劇画を動かすことにこだわって、当時としてはあり得ないクオリティーで作り上げたのが『マッハGoGoGo』です。それが源流となってタツノコプロのその後につながりました。

――『マッハGoGoGo』は、アメリカをはじめ昔から海外で人気の作品です。

(C)タツノコプロ
桑原
『マッハGoGoGo』は早い段階で、海外に出ています。アメコミのような絵を動かしたい、アメリカ的なアニメーションを作りたいと考えた吉田竜夫の思いが入っていたので、「これなら海外に出せる」と思った方がいて、それで紹介されました。
実際に海外で人気となりました。『スピード・レーサー』(『マッハGoGoGo』の英語タイトル)を、アメリカの作品だと思っていた人もいましたよね。

――『科学忍者隊ガッチャマン』もそうですね

桑原
『マッハGoGoGo』の実績をもとに、そこからタツノコのブランドが確立して、『ガッチャマン』がアメリカに出ていきました。『マッハGoGoGo』は50年前、『ガッチャマン』が45~46年前ぐらいですね。

→次のページ:新しいオリジナルと、オリジナル作品のリメイク
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《数土直志》

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