今回は「CtrlMovie」というアプリと、上映装置に付け加えられたハードウェア(Integrated Media Block)が連動するシステムによって可能となった。映画『ヒプノシスマイク』の公式サイトでは、各劇場の各バトルごとに、どのチームがどれぐらい勝ったのかという勝率を示しているが、このデータもアプリを通じて集計されたデータである。
このシステムを使った映画としてこれまでに『Late Shift』(2016)、『Traces of Responsibility』(2024)などが制作されている。2018年、2019年にもこのシステムを使った映画の制作が発表されたようだが、検索した範囲では公開の記録が見つからなかった。開発からそこそこ時間が経っているのに「CtrlMovie」を採用した作品が少ないのは、後述するような理由があるのだろう。
いずれにせよこの技術は、今の日本の映画館における楽しみ方の拡大――「ライブ化」と「アトラクション化」と相性がいいのは間違いない。「ライブ化」と「アトラクション化」とは「鑑賞から体験へ」という映画館の活用の拡張の中にあるふたつの傾向だ。
「ライブ化」の代表は「応援上映」だ。これは、映像に対し観客が積極的に声を挙げるなどのパフォーマンスをすることで、毎回同じ内容が上映されるはずの映画に、ライブならではの一回性を与えることになるところにポイントがある。この「一回性の付与」の延長線上に本作の「見るたびに展開が変わる(可能性がある)」という要素がある。
もうひとつの「アトラクション化」は「4DX」などのライドアクションに近づくサービスの方向だ。こちらで重要視されるのは「一体感」である。ストーリーや演出の細部を味わうというより、ダイナミックな座席の動きに代表される画面との一体感にその魅力がある。本作の場合、「一体感」を感じられるものとして「投票結果がリアルタイムで反映される」という映画と関係性が用意されている。
この「ライブ化」「アトラクション化」を推し進める小道具として、「CtrlMovie」はよくできたシステムだ。それは、ドラマに軸足のある劇映画よりも、基本的に楽曲の連なりでできているフィルムライブのようなジャンルに特に向いている。
先ほど、このシステムがユニークながら、対応作品数が決して多くないという現状を確認した。それもそうで、通常の劇映画の場合、いくら分岐があるとはいえ、「相手のセリフに答えるか/答えないか」といった選択肢に対して、観客はコミットする理由を持たない。主人公の行く末が変更可能であろうと観客には(本質的に)どうでもいいことなのだ。「なんとなく」「適当」に選ばざるを得ない「インタラクティブ」は負担なだけだ。
まして一度見てしまった映画に対して「“トゥルーエンド”はもっとおもしろいんだ」と言われたところで再度足を運ぶ動機になるかどうかは、かなり怪しい。それなら自宅でゲーム機でインタラクティブムービーを楽しんだほうが、ずっと満足度は高い。
また劇映画の妙は、その後の展開と対になるようなささやかなセリフの配置や、画面の構図などから生まれる行間に魅力が宿る。しかし複雑に分岐する物語の場合、そうした文芸レベル・演出レベルでのコントロールが、すべての場合に有効になるように組み立てるのは難しい。つまり、「その後の展開がどうなっても成立する表現」が採用される度合いが高くなり、結果として劇映画の持つ行間の妙は削がれることになる。
そうしたマイナス面を考えたとき、今回のように「劇映画」ではなく「推しを勝たせたい」という明確な動機付けがなされている作品のほうが、「CtrlMovie」を採用する意味が大きい。アイドルやそれに類した作品の多い日本アニメの場合、「CtrlMovie」に適したタイトルが多いといえる。
映画『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』のアプローチが業界内で受け入れられれば、アイドルのライブもので、「CtrlMovie」を使った作品が登場する可能性は高まるだろう。また、それは映画館が伝統的な意味での映画館であるだけでなく、「ライブ化」「アトラクション化」をしていくことの後押しにもなるはずだ。
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【藤津 亮太(ふじつ・りょうた)】
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。