「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」非同期型メディアの“手紙”だからこそ繋げられるもの【藤津亮太のアニメの門V 第63回】 | アニメ!アニメ!

「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」非同期型メディアの“手紙”だからこそ繋げられるもの【藤津亮太のアニメの門V 第63回】

アニメ評論家・藤津亮太の連載「アニメの門V」。第63回目は、京都アニメーション制作のアニメ映画『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を「時間」を切り口に読み解きます。

連載 藤津亮太のアニメの門V
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※この原稿は作品の重要な部分に触れています。

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』はとても真面目な作品である。
それは物語の内容とは関係ない。想定されうるあらゆる感情を絵で描き尽くそうという、その姿勢が映画を生真面目なものに仕上げているのだ。

本作は、登場人物たちの会話の最中、その心の揺れを描き損なわないようにとその心理状態にピッタリと寄り添う。
ロングショットであっても、しばしば登場する被写体の顔や目を避けたアングルでも、それは“引き算”が目的というよりは、狙った感情を伝えるための“足し算”として用いられている。
だからこそ本作の上映時間は2時間20分もの長さに達することになる。

本作は、冒頭のシーンの中で時計が映し出され、映画の終幕でも秒針が時を刻む音が響く。このことからも明らかなように本作の主題は「時間」である。

確かに物語はTVシリーズのその後を描いている。TVシリーズではその生死が不明のままだった主人公ヴァイオレットの上官であるギルベルトが姿を見せ、それによってヴァイオレットの物語は確かに本作で締めくくられる。
だがそれは物語が連続しているというだけで、主題の連続を意味しない。劇場版は劇場版としてTVシリーズをより深めた形で新たなテーマが設定されている。

ここでいわずもがなの基本設定を確認しておこう。本作は、架空の世界の、蒸気機関とタイプライターとガス灯の時代異世界が舞台。主人公ヴァイオレットは“自動手記人形(ドール)”と呼ばれる手紙の代筆人を生業としている。
彼女の両腕が機械式の義手なのは、彼女が少し前まで兵士として戦場で戦っていたからだ。

ヴァイオレットはもともと孤児である。軍隊でヴァイオレットの上官だったギルベルトは、名前もなく、文字も言葉も知らない孤児だった彼女に教育を施し、“人生”を授けた存在だ。
だからヴァイオレットは、ギルベルトのために「戦闘人形」と呼ばれるほどの働きを見せる。
そして、ある戦闘で重症を負ったギルベルトは、最後にヴァイオレットに「愛している」という言葉を残し、混乱の中行方がわからなくなる。その戦いでヴァイオレット自身も両腕を失ったのだ。

戦地を離れ、もとから感情表現に乏しいヴァイオレットは、ギルベルトが残した「愛している」という感情はどのようなものか理解できない。
彼女は、代筆の仕事を通じてその意味を学んでいく。

回想として描かれる「兵士の記憶」がヴァイオレットを強く縛っている。だが「現在の記憶」が増えていくにつれ、人生の天秤の上で、「兵士の記憶」と「自動手記人形の記憶」が次第に釣り合っていく。
そして「過去は消えないが、ドールとしてやってきたことも消えない」というのがTVシリーズのゴールであった。

劇場版の構造はもう少し複雑だ。劇場版はまず、ヴァイオレットが自動手記人形として働いた時より、数十年後の“未来”から物語を始める。
祖母アンの葬儀が終わった後、孫娘のデイジー・マグノリアは、アンが大切にしていた手紙を見つける。それは自らの寿命が長くないと知った曾祖母が、まだ幼かったアンのために送った手紙だ。
曾祖母は自分の死後もアンの誕生日に毎年1通ずつ届くよう、自動手記人形に依頼して自分の気持をしたためた手紙だった。封蝋で閉じられたその古風な手紙を手にしたデイジーは、その代筆を行った、自動手記人形ヴァイオレットに興味を持ち、その足跡を追い始める。

劇場版はこの“未来”のデイジーのエピソードを「額縁」として、ヴァイオレットの働いていた時代を振り返る構造になっている。
その結果、TVシリーズではあくまでヴァイオレットの内面の中の出来事であった「戦場の記憶」と「自動手記人形の記憶」が外部から相対化され、改めて「戦場の時間」「自動手記人形の時間」としてひとつの時系列に配置しなおされることになった。
ここから本作の「時間」という主題が浮かび上がるのだ。

なお熱心な視聴者であればおわかりの通り、デイジーのエピソードはTVシリーズ第10話「愛する人はずっと見守っている」の後日談である。
「時間」がテーマになったことで明らかになるのは、手紙というメディアが「非同期」のメディアであるということだ。
そして劇場版では、時代が非同期型の手紙から、徐々に電話という同期型のメディアへと移り変わりつつあることが描かれる。ヴァイオレットが働くC.H郵便社の郵便事業や自動手記人形が時代遅れになっていくであろう気配も漂っている。

手紙に対する電話の存在感は、作中では少年ユリスのエピソードを通じて描かれる。
ユリスは、長く入院をしており、自分の命はもう長くないと自覚している。そこで彼はヴァイオレットに、両親と弟へ手紙を残すことを考える。
これだけならTVシリーズのアンのエピソードのバリエーションの範囲だが、ユリスにはもう一通、書きたい手紙があった。それは面会を拒否してしまった友達リュカにあてた手紙だった。仕事を終えて帰ろうとするヴァイオレットに促され、手紙を書く決意をしたユリスだったが、改めて手紙を書く機会はついに訪れなかった。

ユリスはやがて危篤の状態となる。その時、ヴァイオレットはライデンの街にはいなかった。ヴァイオレットの同僚であるアイリスが、手紙を代筆しようとするが、もはやユリスにそこまでの力は残っていなかった。
そこでアイリスたちは、まださほど普及しているとはいえない電話を使い、今際の際のユリスと友達のリュカをなんとか繋ぐのである。

コミュニケーションをとるということならば、非同期型メディアの手紙は同期型メディアの電話にどうしても劣る。だから文明が発達すれば手紙より電話が優勢になるのは自然なことといえる。
だが非同期型メディアには、非同期型メディアにしかできないことがある。

ユリスが危篤に陥った時、ヴァイオレットは、生存が判明したギルベルトが今暮らすエカルテ島を訪れていた。
だがギルベルトは頑なに、ヴァイオレットに会おうとはしない。それはギルベルトは自分がヴァイオレットを戦争の道具として使ったことを深く後悔しているからだった。
ギルベルトは「戦争の時間」の段階で自分の時間を止めてしまったのだ。それが自分への罰だと思っているのである。

一方、ギルベルトに拒絶されたヴァイオレットのもとに、ユリス危篤の報が電報で届く。既に夜で島から出る船もなく、そもそもエカルテ島はライデンの街より遠くにあるにも関わらず、ヴァイオレットはユリスのもとへと向かおうとする。
あれほど会いたいと願っていたギルベルトの元にいるにも関わらず、だ。それは彼女にとって「自動手記人形としての時間」がそれだけ重いものになっているということの証である。
このように、同じ島にいても「戦争の時間」を未だ生きるギルベルトとヴァイオレットの時間は同期していないことが示される。

このように同期していない時間同士を繋げることができるのは、非同期型メディアの手紙だけなのだ。
そもそもギルベルトが、エカルテ島にいるらしい、という事実が発覚したのは、ギルベルトが代筆した手紙が宛先人不明でC.H郵便社に戻ってきたからだった。これも非同期メディアの手紙だから起きたことだ。
そしてギルベルトの中の時間を再び動かし始めるきっかけとなるのは、もちろんヴァイオレットが綴ったギルベルトに宛てた手紙だった(手紙が届いた後に、ギルベルトの兄ディートフリートによる“ひと押し”が描かれるが、それはあくまで最後のひと押しである)。

時間という主題を入れたことにより、手紙というメディアの、同期していない時間同士を繋ぐという本質がここに浮かび上がっている。
映画の開幕で数十年の時を経て、ヴァイオレットの手紙がデイジーの心を捉えたのも、手紙が非同期型メディアだったからだ。

もちろんこれから未来に向けて手紙は廃れていくだろう。その点で本作は「手紙」というレガシーメディアをロマンチックに、感傷的に語っている作品にも見える。
だが「手紙」を「非同期型メディアで語られる言葉の連なり」として考えるとまた見え方は異なってくる。

実は現在も、ネットの中には同期しないまま綴られたさまざまな言葉が溢れている。HTMLのタグを打って書かれた個人サイト、ブログサービスに書かれた日常雑記、SNSの「つぶやき」。これもまたみな「誰かにあてた手紙」なのだ。
そしてこれらは、それを書いた当人も含め、誰かがそれを発見した時、ある種の「手紙」として蘇ることになる。そうして言葉は、同期していない時間を越えていく。
劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、そんなふうにしてネット時代の私たちと繋がっているのである。

このような地味な物語を粘って粘って語って見せ、本作は多くの人から「感動」の言葉を引き出してみせた。その面持ちは「文芸大作」という言葉がとても似つかわしい。

[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。

《藤津亮太》

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