■ありとあらゆるタブーを描いていく。
――作品の中身についても触れていきたいのですが、まず印象的だったのが、第1話から暴力・エロはもちろん、裏社会の詳細な描写まで、あらゆるショッキングな要素が詰め込まれていたことです。
中村:本作では、死と暴力と性という、通常の作品ではタブーとされるものを描こうと決めて、大衆向けしない要素を意図して盛り込んでいるんです。
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――それはなぜでしょうか?
中村:日本のヒーローものは、昔から存在する特撮ものの呪縛が非常に強いと感じていることが大きいですね。これまで、日本でも「大人向けのヒーローです!」という謳い文句の作品はいくつか世に出ていますが、いざ観ると、基本的にいつもの演出やいつものアクションに、ちょっと出血表現や暗い展開が足された程度かな? くらいの印象を受けてしまうんですよ。それも一つの文法としてありだとは思います。
でも、自分の作品ではその文法から脱却したヒーローたちの戦いを書きたかったんですよね。なので執筆にあたっては、リアリズムにとことん寄せて、暗くリアルな世界の中、戦隊という少しファンタジーな存在がいるというスタイルを取りました。
――愛する女性を殺された男が、読者に「ヒーローになるのかな?」と思わせた途端に犬死にしてしまう序盤の展開で、“いつもとは違う”ことを明確に提示していましたね。
中村:とにかく正攻法ではやらないようにしています。この世界って、努力・友情・勝利の逆なんですよ。努力も通じないし、友だちもいないし、負ける。そういった本作の基本ルールを序盤では象徴的に書きました。愛する女と言っても、夜の街で買った女に惚れただけですし、そこもろくでもないんですよね(笑)。
――そういったお話作りをする中で、脚本家としての普段の仕事では決してできない描写を存分にやる! という意気込みもあったのでしょうか。
中村:それはあります。仕事をする中で、表現についての規制が理不尽に厳しくなっていることをいつも感じるんですよ。
例えば警察もののドラマでも、頭を撃ち抜かれる演出はNGだし、人を刺す描写にしてもナイフを振り上げるカットだけで、刺される瞬間は基本的に映しません。
「この手のジャンルには非日常に触れる楽しみもあるのに、一体誰に気を遣っているんだろう」といつも思っていましたから。
――本作の舞台は日本ではあるものの、現実とはかけ離れた世界観になっていますが、この設定にされたのは、バイオレンスな描写をやるのに都合が良いから……という意図だけではないですよね。
中村:もちろんです。この世界観って、現実とは違うのですが、あながち遠くないとも思っているんですよ。安倍政権になって以降の日本で起きている諸々の事象を見ると、今以上に強者が弱者を虐げてもなあなあで済まされる社会が待っていると感じませんか?
視点を世界に広げても、アジアは中東の次に危険度の高いエリアとされているし、北朝鮮で戦争が起きた場合、日本に大量の難民が流れ込んでくるというシミュレーションもある。
そういった現代に蒔かれている危険の種から想像を広げていき、「起こりうる最悪の事態が起きてしまった東京」というイメージで世界観を作りました。
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――そこに、日本でおなじみのヒーロー「戦隊」という概念を投入し、タイトルに冠したのはどういったお考えからでしょうか。
中村:一発目のヒーローを何にするかと考えたときに、漢字の名前が良いと思ったんですよ。日本発だし、○○マンにはしたくなくて。そのときに戦隊が頭に浮かびました。
当初、タイトルには『戦隊対組織暴力』とかを考えていたんですが……。
――それって、深作欣二監督の映画『県警対組織暴力』じゃないですか!(笑)。
中村:そうです! 戦隊は今のところ『バットマン』でいうファルコーネ・ファミリーのような組織暴力と戦っていますから、県警と組織暴力の愛憎まみれた関係が描かれているあの作品からいただくのがうってつけかなと(笑)。
でも結局、ギリギリまで悩んだ結果、漢字二文字で『戦隊』のほうが覚えてもらえるし、収まりがいいだろうということで、今の形に落ち着いたという流れですね。
■世界を変えようとするのは“選ばれなかった者”たち
――戦隊はそれぞれが警察官や格闘家など、表の仕事を持っているという設定ですが、劇中のレッドはどういった基準でメンバーを選定しているのでしょうか?
中村:基本的にレッドは、ある程度の戦闘能力を持ち、正義や弱者のために暴力を行使した経験のある人を選んでいる、という設定ですね。
レッド基準で正義感を持っている人ではありますが、突き詰めれば彼らも徒党を組んだ暴力集団なので、れっきとした犯罪者ではあるんですよ。対立していれば女も殴るし、犬も殺す。そこの矛盾は意図的に描いていますね。
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――作中、犯罪者たちと一線を引くために不殺を誓っているものの、早々とその誓いが破られてしまうのは生々しさを感じましたね。
中村:彼らとしては、なるべく悪党たちと同じことをしたくないと思っているけれど、結果的にやっちゃうよね、と。悪党と違い、ルールを大事にしようとするものの、バットマンほど綺麗にルールを遵守できない人間臭さは出したかったので。
――彼らは生身の人間で、特殊な力もなければ、奇跡も起こせないということが度々描かれていますよね。
中村:普通の日本のヒーローものとは違うことをやりたかったので、そこは力を入れました。彼らの武器は着ているスーツの性能くらいだし、同じ生身の人間でもバットマンほど突出した能力はない。だから、生身の人間ゆえの様々なトラブルが起きていくんです。
それに、スーパーパワーを使ってしまうと、選ばれし者の話になってしまう。古来から、選ばれし者の話は受けが良いんですけどね。日本でも、『ドラゴンボール』や『ワンピース』、はては『水戸黄門』から『桃太郎侍』まで、全部血筋の話じゃないですか。
――そうですね。昔から現代まで続く、黄金パターンの一つだと思います。
中村:でも、僕はそれが嫌いなんです。選ばれてない人じゃないと本当にダメなのか? と違和感を覚えるんですよね。
自分に置き換えると、先日死んだ僕の親は本を読まないし、僕の仕事とは全く繋がっていない人だったんです。でも僕は脚本家になっている……という個人的経験もあって、フィクションの選ばれし者には共感し難いし、現実で才能もないのに血筋で仕事に就いてる“選ばれし者”を見かけると、本当にむかつきます(笑)。
そんな思想から、普通の人間たちの活躍を書きたかったということですね。
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――その設定ゆえに戦隊は度々ピンチになり、読む側は常にヒヤヒヤさせられますね。
中村:誰でも死にうる世界ですからね。戦隊全員を殺そうとして孝弘さんに止められたくらいです(笑)。
世の中、死の扱いが軽くなることを嫌う人もいますが、歴史を見ると人の死って基本軽いんですよ。重いと思いたい気持ちはわからないでもないけれど、いざというときは軽く処理されてしまうし、軽いほうがリアルだと思うんです。
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