アニメの「演出」とは何なのか? 安易に使われがちな言葉だが、その本質とは【藤津亮太のアニメの門V 第45回】 | アニメ!アニメ!

アニメの「演出」とは何なのか? 安易に使われがちな言葉だが、その本質とは【藤津亮太のアニメの門V 第45回】

アニメ評論家・藤津亮太の連載「アニメの門V」。第45回目は、アニメにおける「演出」について

連載・コラム 藤津亮太のアニメの門V
  
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ある大学で非常勤講師として半期一コマだけ授業を担当している。
授業の主題は「アニメをいかに見て、いかに語るか」。前半は「自覚をもって映像を見ること」を意識してもらうことを目的に授業を行っている。

そこで扱う話題のひとつが「演出とは何を指しているのか」。
作品の感想を語り合っていて、なんとなく「演出がよかった/わるかった」などと口にしてしまうことも多いが、なんとなく口にしてしまいがちな、演出について、もうちょっと理解を深めてもらおうというわけだ。

少し前に「アニメの演出」がネット上で話題になっていた。
そこから派生したいろいろな意見を見るにつけ、授業で行っている学生向けの説明をベースにして、一般のファン向けに、簡単に解説をまとめるのも意味があるのではないかと考えて、この原稿を書いている。

アニメの「演出」について話をしようとすると、微妙に混乱が生じるのにはいくつかの理由がある。
そのひとつは、そもそも「演出」という言葉は、演出を担う役職の仕事範囲よりも広い範囲を指している、ということが忘れられがちだからだ。

さらにアニメの場合、演出に携わるポジションが複数あるということも影響している。
TVシリーズで考えるなら、「監督」を筆頭に、各話の「絵コンテ」と「演出」が挙げられる。さらに作品や制作会社によっては、「副監督」「助監督」「監督助手」「演出助手(演助)」といったクレジットがある場合もある。
もちろんこれらは、ワークフローの中にその居場所がしっかり位置づけられてはいるが、それぞれの領域は重なり合う部分もあり、完成映像を見ても、誰が手を動かした結果なのかは、想像はついても特定は難しい。

演出という言葉をデジタル大辞泉で引くとふたつの語釈が出てくる。
ひとつは「演劇・映画・テレビなどで、台本をもとに、演技・装置・照明・音響などの表現に統一と調和を与える作業」。 
もうひとつは「効果をねらって物事の運営・進行に工夫をめぐらすこと。『結婚式の演出』『演出された首班交代劇』」とある。

この語釈からもわかるとおり、ふたつ目の意味合いででなら、脚本の段階で既に「演出」というものが存在していることになる。
たとえば、緊張感を保つためにカットバック(ふたつの場面を切り替えながら見せていく語り方)を行わず、視点を片方のキャラクターにだけ固定して脚本で書かれていたとすれば、当然ながらこれは「演出効果を狙って脚本が書かれている」ということができる。
さらにいうなら、脚本において、どのように出来事を並べていくかという語り方そのものに、自然と「演出」というものが入り込んでいるのである。

もちろんこれは「演出」の指す範囲を最大限に広く採った場合のことだ。こうした脚本上の演出は、普通は「構成」であったり、「語り口」といった言い回しで語られることが多い。
しかし、そこにあるのもまた「演出」であるということは覚えておいたほうがいい。

そして、アニメの「監督」「絵コンテ」「演出」が担っている「演出」は、ひとつめの語釈である「表現に統一と調和を与える作業」ということになる。

まず「監督」だが、監督の一番の仕事はディレクション(作品の方向付け)である。
ある監督は「スタッフが目指すべき場所に旗印を立てる役割」とその役割を説明してくれた。
語釈を踏まえて書くと「この作品における統一、調和とはどういう状態なのか」を決める役割ともいう言い方もできる。

それは「どんな画調(ルック)を目指すのか」といったビジュアル面から始まり、「コメディタッチになった時、キャラの顔はどこまで崩していいか」といった作品の雰囲気を伝えるためのルール作りもあり、最終的には「何を描くのか」というテーマとそれを支えるエピソードの取捨選択まで含まれる。

TVアニメの第1話を監督が絵コンテ(さらには演出まで)を手がけることが多いのは、こうした全体的な方向性を最初に示すことで、そのほかのスタッフはそれを参考に作業を進めることができるからだ。

一方、各話の「絵コンテ」は演出のどのような部分を担っているのか。
絵コンテは、脚本をもとに、カットを割り、そこにどんな画面を提示するかが描かれたものだ。
これによって作品の全体像を俯瞰できる完成予想図を示すという役割も担っている。

この時に重要なのは、どのような絵を繋げていくのかというコンティニュイティ(連続性)である。絵コンテのコンテとは、このコンティニュイティの頭3文字をとったものにほかならない。

朝日カルチャーセンター新宿教室で毎月「アニメを読む」という講座を行っているが、年に1回、京田知己監督を講師に招いて「絵コンテ講座」を行っている。
これはプロ志望者向けというより、実際に絵コンテを描いてみることで、映像のリテラシーを高めていこうという趣旨で行っているものだ。

この絵コンテ講座で繰り返し指摘されているポイントは「前の画面からカットを割って次の画面を見せることそのものに視覚的刺激がある」「その刺激をどうコントロールすれば、飽きずに見せたいもの、伝えたいものをちゃんと見てもらえるか」ということだ。
キャラクターの大きさ(背景との面積の比率)や、キャラクターの画面上の位置、移動する方向性といった視覚的刺激を使い分けながら、映像の流れ(コンティニュイティ)を作っていくのが絵コンテの役割なのである。

富野由悠季監督に、絵コンテチェックをどのようにするかを聞いた時も、一コマ一コマ追うのではなく、映像がちゃんと流れているかを、コンテ用紙をパッパとめくりながらまず確認するという返事だった。

こうした「流れ」は、キャラクターの移動方向に注目するとわかりやすい。
たとえば『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の冒頭では、敵側のネオ・ジオン軍は画面左から右に向かって攻撃し、主人公サイドの連邦軍は逆に右から左に向かってこれを迎え撃っている。
また本作のヒロイン、クェスは地球から宇宙へ向かっていく過程は、一貫して右移動で描かれている。あるいは『アナと雪の女王』のエルサは、城から逃げ出す時に画面左方向に向かって走り出し、やがてクライマックスでは画面左から右側へと向かって戻ってくる。
この映画は左側へ去り、右側へ戻ってくるとい運動をベースに描かれているのである。

こうした絵コンテをもとに具体的に画面づくりを行うのが「演出」である。
「演出」の呼称だけだとわかりにくいため、「演出処理(あるいは処理演出)」、略して「処理」とも呼ばれている。

具体的に画面づくりをするわけだから、その仕事は多岐にわたる。アニメーター、美術、色指定、撮影などさまざまなスタッフと打合せ、成果物をチェック・修正指示を出し、監督によって示された作品の全体方向を意識したうえで、映像を完成せていく。
複雑な内容――たとえば背景動画を使わずに長回しのでキャラクターを追いかけるといったようなカットがあるとすれば――になればなるほど、どういう素材がどのように必要かなど、演出にきっちりとした設計(プラニンニング)が求められることになる。

だから演出次第で画面の雰囲気は大きく変わる。
たとえば劇場版『機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者』では、後半に登場する空中戦のあるカットが、普通に1枚の背景をスライドさせるだけの予定だったという。
それをスタジオ演出としてクレジットされていた松尾衡が、デジタル上で背景を幾枚かに切り分けて、それを順番に奥へ送るような処理に変えたという。これによってこのカットの存在感がぐっと増したという。

以上、アニメにおける「演出」なるものはどんなものか簡単に整理してみた。
大事なのは、こうしたそれぞれのポジションで行われている「演出」は、他部署も含めて相互に影響しあい、融合しているので、映像を見ただけでは簡単に、どこの役職がどういう働きをしたのかは、容易には切り分けられないと認識することだ。

もちろん経験則から想像することはできるけれど、それは想像の範囲だ。
視聴者は映像として表現された演出効果を体験することはできるが、それを作り手の固有名詞に還元していくのは原則として難しい。
それは、取材をしない限りわからないし、取材をしてもわからないこともある。

アニメには集団制作だからこそ起こる化学反応があり、それは各現場、関係者の顔ぶれ次第でいかようにも変化する。
指定された部品を用意してアッセンブルするとか、あるテーゼをブレイクダウンしていって細部を形作るといった一方通行の関係ではなく、もっと混沌とした影響関係の中で作品は形作られているのだ。

[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』がある。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。

《藤津亮太》

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