「スパイダーバース」の映像は何が革新的なのか? 多様な“画風”に注目【藤津亮太のアニメの門 第44回】 | アニメ!アニメ!

「スパイダーバース」の映像は何が革新的なのか? 多様な“画風”に注目【藤津亮太のアニメの門 第44回】

アニメ評論家・藤津亮太の連載「アニメの門V」。第44回目は、2019年3月8日に全国公開を迎える『スパイダーマン:スパイダーバース』をその個性的な“画風”から作品の魅力を紐解く。

連載・コラム 藤津亮太のアニメの門V
  
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アニメは“絵”である。

たとえ実写が素材として使われても、その素材を加工して、求める“絵”へと近づけていこうとすれば、その思想そのものがアニメなのだ。
押井守監督がデジタル技術への転換を背景に「すべての映画はアニメになる」といったのはそのような意味においてのことだった。

すべての映画がアニメになった時、重要になるのがビジュアルデベロップメントだ。
どういう“絵”を求めるのか、その“絵”をどのような過程で集団制作の手法へと落とし込むのか。そこを検討する過程が、作品の幅や射程を決めていくことになる。

ビジュアルデベロップメントは、もともと3DCGにおける作業の一工程についている名称だ。
これは3DCGが、フォトリアルからノンフォトリアルまで、“絵”の幅が自由に選べて、かつ“絵”を成立させるためには技術的な裏付けが必要になるという背景があるからだ。事前にしっかり“絵”のゴールを決めていなければ3DCGを作ることはできない。

一方、伝統的な手描きアニメは、ビジュアルデベロップメントと名付けられた工程はない。
しかし仔細に見ていけば、イメージボードにはじまり、ペンシルテスト、色彩設計と美術ボードの方向性の決定、撮影テストといった工程を通じて、実質的にビジュアルデベロップメントを行ってきたというふうに考えることができる。
逆にいえば、それらを総合してビジュアルデベロップメントと呼べば、一見バラバラに見える作業がすべては、作品の“画風”を決定するためのものであることが明確になるということでもある。

今回、この話題からスタートしたのは、3月8日から公開となる『スパイダーマン:スパイダーバース』(以下『スパイダーバース』)が非常に個性的な画風を採用していて、強く印象に残ったからだ。
同作は先日発表された、第91回アカデミー賞で長編アニメーション賞を受賞している。これは内容もさることながら、同作のビジュアルデベロップメントが非常に革新的だったからだったと思われる。

『スパイダーバース』は、アフリカ系の父とヒスパニック系の母を持つニューヨークの少年、マイルス・モラレスが主人公。
偶然スパイダーマンの能力を手に入れてしまったマイルスだったが、その能力はなかなかコントロールすることができない。
そんな中、何者かによって時空が歪めらるという事件が発生。そこでスパイダーマンであるピーター・パーカーは死んでしまった。
一方次元が歪められた影響で、異なる次元(マルチバース)で活躍するさまざまなスパイダーマンたちがマイルスの世界に集まってきてしまう。事件の元凶であるキングピンを追いながら、マイルスは新たなヒーローとして成長していく。

本作は3DCG作品だが、その画風はピクサー作品などとは大きく異なる。それをひとことでいうなら「コミックのような画風」ということができるが、それを構成する要素は実に複雑で多様で、「ひとこと」でまとめられるようなものではない。

まず、キャラクターは不透明な絵の具で塗られたようなフラットな色調で塗られている。程度の差はあれ、皮膚の質感を再現しようとしているピクサー・タイプの作品とはそこから異なる。
ただし、セルルックのように均一な色味ではなく、絵画のように自然にハイライトや頬の赤みなどが入っている。
そしてポイントポイントには輪郭線も入っている。たとえば鼻梁のライン、ほうれい線などのしわ、暗部の輪郭などに実線が引かれている。例えばマイルスであれば、額のシワだけでなく、鼻全体がラインで描かれている。

東アジアにある「線の文化」に対し、西洋絵画は歴史的に光と影で絵を描こうとする方向性があり、この文化的バックグラウンドの違いが、3DCGアニメの普及の速度の違いとなって現れた。
……というのが、俗に説明される「アメリカで3DCGが主流」となり、「日本では手描き(やその延長線上にあるセルルック3DCG)が主流である」という現状の根拠なのだが、本作の画風をみると、そうした分類は意味がないように感じられる。

キャラクターの描き方だけではない。本作では、ポイントポイントに印刷風のドットの効果が、影の部分に斜線の効果が入っている。それによって画面からは「これは絵である」という主張が立ち上ってくることになる。
また、そのカットで中心になる被写体以外は、像が二重にぼやけるような効果が付け加えられていて、必要な情報が見やすくなるようにコントロールされている。

全編の基本となるこの画風だけでもだいぶ凝った作りだといえるのだが、本作が驚異的なのは、これ以外にもスペシャルなビジュアルが次々と登場するところだ。
まず、アクションシーンの決定的瞬間などに、ピンクや黄色など派手な色使いで、印象的な要素が簡単な線だけで描かれた、フラットな絵柄が数コマほど挟まれる。
一方で、ある登場人物の回想シーンになると、絵筆のタッチが残るような絵画調の処理も登場する。

また3DCGを使っていても、時空の歪みやビームといった特殊なエフェクトは、グラフィカルな表現が選択されており、爆発・爆炎のようなものを除くとフォトリアルではない“絵”として処理されている。
おもしろいのは、スパイダーマンが持つ“第六感”――スパイダーセンスを表現する時に、「何かを感じている波線」が頭の周りに現れること。この“漫符”もまたグラフィカルに表現されている。

そしてこの画風の幅がさらに広がるのが、中盤、それぞれの世界からやってきたスパイダーマンが登場してからだ。
メインキャラクターであるスパイダー・グウェンとピーター・B・パーカーは、マイルスと同じ表現スタイルだが、そのほかのキャラクターはみな画風が異なるのだ。

まず、1930年代を舞台にした次元から現れたスパイダーマン・ノワールは、常にモノクロで表現され、明るいグレーの部分にはドットのテクスチャーがのっている。
それに対し、ロボット「SP//dr」を扱う少女ペニー・パーカーは、平面的なANIMEスタイル(と言ってよいと思う)だ。
そしてスパイダーハムは、カートゥーンの伝統にのっとったトーキングアニマルで、そのままカートゥーンっぽい、誇張されたシルエットの3DCGキャラクターである。白くなったハイライト部分の境界部にやはりドットのパターンが使われている。また、1970年代のTVアニメ風の画面も登場する。
このほか画風とは異なるが、画面を分割したコマ割りのような演出もあれば、効果音やフキダシを文字にして表示する演出もあって、これもまたコミック的な表現の一部となっている。

このように基本の画風をベースにしながら、実に多様な画風がそこに取り込まれ、それぞれがケンカをせずに、『スパイダーバース』というひとつの宇宙を構成している。
それはビジュアルデベロップメントに手間をかけ、それを実際のフィルムに落とし込む際にも、細心の注意を払ってバランスを取ったことの結果であろう。
だからこそビジュアルだけ見ていても、目に楽しいエンターテインメントとして本作は出来上がっているのだ。これを単にひとことで「コミック風」とまとめてしまうと、いろんなものが取りこぼされてしまう。

ご存知の通り『スパイダーマン』の主要な舞台はニューヨークだ。
ニューヨークはさまざまな人々が、それぞれの文化を保ちつつ共存していることから、しばしば「サラダボウル」に例えられる。まさに『スパイダーバース』もさまざまな画風が集まったサラダボウルだった。

画風をコントロールすることがここまでできるのがわかれば、今後3DCGアニメの一角は、こうしたノンフォトリアルな表現の作品が占めるようになるのではないか。
ディズニーやピクサーなどの一部の短編を見ても、ノンフォトリアルな表現の模索は続いており、今後の3DCGアニメーションの動向を占ううえでも本作は重要な1作といえる。
そしてこれは、日本の3DCGアニメ(ひいてはアニメ全般が)がどのようなものを作るべきかということも問うているのだ。

なお本作は、様々な歌が重要なところで使われており、アクション以外でも雑踏やトンネルの中など効果音が印象的なシーンも多い。音のよい劇場で楽しむと、目だけでなく耳も楽しくなるはずだ。

[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』がある。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。

《藤津亮太》

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