福井晴敏が語る“ヤマト・ガンダム論” SFアニメとしての違いは?「NT」「2202」を終え次は?【インタビュー】 4ページ目 | アニメ!アニメ!

福井晴敏が語る“ヤマト・ガンダム論” SFアニメとしての違いは?「NT」「2202」を終え次は?【インタビュー】

日本のアニメ史に大きな影響を与えた『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』という、2つの作品の最新作とリメイク作品の物語を構築した福井晴敏。それぞれにどんな思いを込めたのか? 2つの作品をさまざまな角度から対比し語ってもらった。

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■作品性を比較することで見える『ガンダム』と『ヤマト』の違い


――『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』に関して、ファンはどちらもSF的なアニメーションとして捉えている一面があると思いますが、送り手側としてはそれぞれに関連した作品を描くにあたって、SF的な部分で気に掛けていることはありますか?

福井
『ガンダム』の場合は、全てにおいてどこか辻褄を合わせないといけない。
宇宙世紀という世界に生きている人間ならこうであろうという部分まで突き詰めないといけないというのがあります。

『ヤマト』に関しては、そんなところを突き詰めていくと、「なぜ、海で運用する艦船の形状にこだわっているんですか?」と言われた場合に、その説明は何も無いわけです。
それこそ、『ガンダム』の場合は「2本の角は索敵用のアンテナで、眼が2つあると遠距離と近距離の距離感を両方捉えることができる」というようなメカニックのリアリティのある理屈があるんですが、『ヤマト』はそもそもそういう発想で作られていない。なのでそうした部分を突き詰めてデザインや世界観を先鋭化させようとすると、『ガンダム』よりも劣ったものになってしまう。

だから、別のところで戦わないとならない。
『ヤマト』に関しては、「昔々、あるところに……」というくらいのザックリとした感じになるけれど、その代わりにそうした語り口だからこそできる「大きな話」がある。
「大きな話」というのは、大振りということではなく、子細を見ると俺たちが今生きている世界がそこに投影されているんだという豪華さを見せることができる。
それこそ、何万隻もの艦隊戦とか。そこが『ヤマト』の肝かなと。

対して『ガンダム』は「何月何日何時に誰々がどこにいた」というところまで突き詰めて描かないとそもそも世界が発生しないし、何も動かない。そういう違いがありますね。

――そういう意味では、『ヤマト2202』は『ガンダム』作品にはないダイナミズムを主眼に置いて作劇されてきたのかなという印象はありますね。

福井
自分たちではとても制御できない物量に溺れている感覚というのは、誰もが経験していることだと思うので、逆に取り入れたというところがありますね。

――それは、現在のネット社会的な情報量ということでしょうか?

福井
それもあるし、もう少し前からの状況を言えば、地球を7、8回は滅ぼすことができる兵器というものも我々は持ってしまっている。
そういう部分での息苦しさ、逆に壮大な中に押し込められた科学の砦みたいなものの中にも息絶え絶えで押し込まれてしまっている状況というのに、人間はすっかり慣れてしまっていて、あまり意識しなくなっているという怖さがありますよね。

『ヤマト2202』の場合は、そうした界面を突破してしまう瞬間に立ち会ってしまっている人たちの話なので、その怖さというのが身に染みてわかる。
結果の無残さがわかる人たちの話になっているので、その辺りを考えながら、40年前の日本人の心性を持った人が、今現在のこの環境に置かれた時に、どれだけストレスを感じただろうと思いを馳せている部分もあるわけです。

当時と違って、自分の心の中のいろいろなものを裏切っていかないと社会の折り合いが付かなくなってしまっている。
それは、古代進が波動砲をどう扱うかと悩む部分も含めて、自分の中にいる、自分くらいの世代の人々がどこかに置き忘れてしまった、本来の未来はこうなるべきと信じていた頃の真っ直ぐな気持ちを、古代進という主人公に収斂させている。
そうした構造も『ヤマト』という作品ならではで、古代進という人間に現代日本人の心性を乗せて、どういう風に描きたいかということだけのために全ての物語が配置されています。

対して『ガンダム』というのは、大きな社会の流れや枠組みというのがあって、その中でそれを全く変えることができないという一個人が、その世界でどのように何かを得て、何を失うかという話になっていて、個人のための世界が設定されていない。そこが大きな違いですね。

――そういった前提を踏まえ、『ヤマト2202』第七章はどのような結末を迎えるのでしょうか?

福井
ベースとしている『さらば宇宙戦艦ヤマト』は先に劇場版を公開し、その後『宇宙戦艦ヤマト2』という形でTV放送されていて、どちらも結末が違うんですよね。
よく「どちらの結末にするのか?」という話を皆さんはされているんですが、どちらとも違う形で最後を迎えます。
これまで視聴してきた側は、古代たちがどう戦い、どう苦しんできたのかを画面の向こう側のこととして、観て、知っているわけですが、最終的な選択というのがまた突きつけられることになります。

でも、それに答えられるのは、観ているあなた達なんです。
これは比喩ではないですし、画面の向こうから語りかけるわけではないんですが、本編を観ながらいきなり自分が当事者になった感覚を味わうことになると思います。
それは、フィクションの中で想像してということではなく、観ている人たちもつい数年前にこのような選択を突きつけられたはずで、その時にどうしましたかということを改めて考えさせる最終回になっていると思います。

■『ヤマト2202』と『ガンダムNT』に共通するテーマとは?


――『ヤマト2202』が終わり、『ガンダム』関連でも『ガンダムNT』が終わり、ひと段落ついた現状に関しては、それぞれの作品に対してどのように感じてらっしゃいますか?

福井
『ガンダムNT』に関しては、めちゃくちゃ引っ張って終わっているので、自分としてはひと区切りついた感じはないですね。次なる作品に向けての作業も何となく始まっているのもそう思う理由かもしれません。

そんななか、この『ヤマト2202』と『ガンダムNT』を総括してみると、これは結果的になんですが「死」をどう捉えるかという部分はすごく似ているなと感じましたし、そこに言及している作品だと思いますね。
死後の世界をはっきりと規定しているわけではないんですが、いずれ終わる命をどう捉えるか? それは両作品とも、俺もそうだけど死を射程に捉える年代の人たちが観るようになっているからこそできるテーマかもしれませんね。

身近な部分でも捉えることができ、期せずしてどっちも死んだ人と話ができる世界になっているわけですから。
その死人の魂的なものの意識とは、そもそも何だったんだろうという、死生観で言うとどちらも繋がっているところはあります。
そうした部分に着目して、『ガンダムNT』と『ヤマト2202』の2作品を見比べてもらうのも面白いかもしれませんね。

――クリエイターとして、今後「こういうものをやってみたい」というような意識はありますか?

福井
現状で言うと、今後5年くらいは依頼が来たものを打ち返すのが精一杯で、なかなかやりたいことという部分のお答えは難しいですね。

ただ、間違いなく意識していきたいのは、どんな形であれ今を生きている人たちが観たり聞いたりするものですから、観る前と観終わった後では、世の中が少し違って見えるような、現実に応用可能なものを今後も提供していきたいなと思います。
スクリーンの向こうだけで楽しいことがあって、それを観て一時の気晴らしをしてお終いというような作品は、うちの商店では扱っていませんよと。
フィクションの効能というのは、作品を観て自分を見つめ直すことだと思うので。

押井守さんが言っていたんですが、人間は自分の始まりと終わりを観ることができないから、始まりと終わりがある映画やフィクションを見て自分を対象化すると。
それはまさに仰る通りだと思いますので、そのポイントは今後も見失わずにやっていきたいと思っています。
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《石井誠》

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