――以前の対談企画で、『コンレボ』をつくったきっかけに「何故あの時代はあんなにもたくさんの超人がいたのか?」という疑問が最初にあったと伺いました。その答えをお聞きしたいのですが……。
水島
ふふふ(笑)。
會川
現実世界において「何であんなに超人が沢山いたのだろう?」ということに説明を付けるのは不可能なんです。そこをあえて「当時は好景気で小銭を持った人たちがテレビを買いやすかった」「それまでの巨大ヒーローに対して、等身大ヒーローはコストをかけずに制作できたから」と説明してしまうと……。
水島
夢がない!(笑)。
會川
他にもいろんな理由が考えられるし、分かりやすく「子どもをだしに金を稼ぎやすかった」と説明することも出来なくはないですが、べつにそれをこの作品で言いたかったわけではありません。むしろ、超人がたくさんいたことに意味があったのであれば、それをフィクションとしてメタ的に描きたかった。実際、『コンレボ』の世界においてなんでこんなに超人がたくさんいたのかは、ちゃんと説明しています。
水島
そうですね、結末もそこに行き着くようになっているし、僕たちが『コンレボ』をつくった意義もちゃんと提示できていると思います。
――たしかに昭和にはたくさんの超人が生み出されましたが、ここ最近も超人をテーマとした作品がかなり多いです。そんななか、超人をどのように描くのが正しいんでしょうか?
虚淵
「正しい」という考え方でやってはマズイ気がしますけどね。
水島
超人に対する捉え方も見せ方もさまざまで、「ひとつの正しいものを提示する」というのは良くない気がしていて。自分たちの素直な気持ちに帰結したり、僕たちなりの主張を多少作品にのせることはありますけど、やっぱり“多様性”という言葉に行き着いてしまう。
つくり手としては、「確固たる主張を受け取ってほしい」というよりも、物事を考えるひとつのきっかけとなってほしいし、作品で描かれたものを自分なりに紐解いてもらいたい。そういった意識で作品をつくっています。
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――あらためて今回の第20話の見どころをお願いします。
水島
僕は『楽園追放』で虚淵くんとご一緒したし、これまでの彼の作品を観てきたわけですが、それを踏まえても今回の脚本は、『コンレボ』の世界観に上手くハマりつつ、虚淵さんらしいに仕上がっているなと。脚本を受け取った我々も、その魅力をしっかりとフィルムに落とし込むべく制作しています。見ごたえのある一本のとなっていると思うので、ご期待ください。
會川
僕たちは爾朗というキャラクターを、主人公としてテーマを背負わしつつも、「彼が直接手を下してしまっていいんだろうか?」と躊躇してしまい“仲裁者”にし過ぎているきらいがあって。それが煮え切らなさにつながっている。そこへくると虚淵さんは、爾朗をゲストキャラの“映し鏡”として割りきっている。なので20話の爾朗は、ノビノビと主人公然としています。ヒーローらしい爾朗に注目してもらえたらなと。
――最後に、今回参加した感想を虚淵さん、お願いします。
虚淵
ほかでは類を見ない企画といいますか、チャレンジングかつ志がある作品に参加できたのはとても光栄です。それにこのメンツに加われたというのは純粋に嬉しいです。本当に「後にも先にもこんなアニメはないんじゃね?」と思いますから。
水島
後にはあってほしいなぁ(笑)。
――本日はどうもありがとうございました!
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