――『コンレボ』のテーマのひとつとして「正義とは何か?」があると思います。そんななか、主人公・爾朗は理想を追い求め過ぎて、少し歪んでいるようにも感じる時もあります。虚淵さんは爾朗の正義についていかがですか?
虚淵
たしかに純粋ではありますよね。その純粋過ぎる正しさと、現実との折り合いをどう付けるのかで苦悩しているわけですが……ただ、「正義」とは原則で語るべきものではないと思います。理想と現実とのすり合わせのなかで、その人なりの正義が浮かび上がってくる。そういったイメージです。
すり合わせを間違えた人というのは、はたから見れば歪んでいて「悪」に向かって突っ走っているようにしか見えない……今回の第20話もそういう話ですよね。まぁほかでもそんな話ばっかり書いている気がしますけど(笑)。
會川
これまでの虚淵さんの作品を見ると、爾朗のように葛藤する時期を越えて、“向こう側”に行ってしまった人が主人公として多い気がします。
虚淵
たしかに。折り合いを付け切れなくなってしまったキャラクターは多いですね。
會川
では、今回、爾朗のようにいまだ葛藤しているキャラクターを描くというのは、居心地が悪かったのでは?
虚淵
いや、いつものように“向こう側”に行ってしまった人もゲストキャラとして出しているので。その彼に対する“映し鏡”として、エクスキューズを突きつけるポジションとして爾朗を描きました。なのでそんなに苦労はなかったですね。
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――「昭和」をテーマとした作品ということで、虚淵さんにとっての「昭和」をお聞きしたいなと。
虚淵
僕は昭和47年生まれなんです。『コンレボ』では終盤で描かれる時代ですね。なので懐かしさや情景もあります。ただ、今にして思えば危うい時代だったなと思います。
――危ういというのは?
虚淵
まさに爾朗が抱える危うさと同質なものといいますか……。まだグローバリズムが浸透しておらず、島国ゆえの純朴さで成り立っていた気がするんです。そういう危なかっしさと懐かしさがごちゃまぜになった時代ですかね。
『コンレボ』で描かれる風景は、実生活の名残りとしてありました。その頃流行った家電の型落ちディスカウントが家にあったり。子どものころ『ミクロマン』のオモチャで遊んでいた記憶があります。それぐらいの地続き感はありますね。
――虚淵さんにとっての“超人”は世代的に何でしたか?
虚淵
うーん、強いていうなら『ドラえもん』かなぁ。当時は特撮ヒーローの空白期だったんです。家にテレビがなかった影響もありますけど、ヒーローごっこをして遊んだ記憶はほとんどないですね。幼少期のヒーロー体験はほとんどなくて、小学校に上がってからようやく『ウルトラマン80』や『宇宙刑事ギャバン』が放送されたぐらいで。
水島
そんな年代なんだ。
會川
虚淵さんが幼少期を過ごされた、昭和50年から53年というのは、いろんなブームが巻き起こった時代なんです。『スター・ウォーズ』に由来する「SFブーム」、『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版ヒットによるアニメブーム、それから「ウルトラマンブーム」もあって。なかでも子ども文化の「リバイバルブーム」が大きかったわけです。昭和46年にも同じくリバイバルブームはあって、つまり虚淵さんの世代は、僕たちが体験したリバイバルの次のリバイバルを体験しているということなんですよね。
虚淵
だから、頭のなかカオスでしたね。物心つくまで『スター・ウォーズ』と『宇宙からのメッセージ』がごっちゃになっていたぐらいで(笑)。
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