中島かずき×會川昇「コンクリート・レボルティオ~超人幻想~」ゲストライター超人対談企画 第1回 2ページ目 | アニメ!アニメ!

中島かずき×會川昇「コンクリート・レボルティオ~超人幻想~」ゲストライター超人対談企画 第1回

『コンクリート・レボルティオ』第2シーズンが4月より放送開始。今回は第16話「花咲く町に君の名を呼ぶ」を担当した中島かずきと、原作・脚本を手がける會川昇が互いに作家としてどう感じているのか?話を訊いた。

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右)中島かずき氏  左)會川昇氏
右)中島かずき氏  左)會川昇氏 全 5 枚 拡大写真
■ 中島かずきの昭和体験――“卒業”できなかった世代

――中島さんが書かれた第16話「花咲く町に君の名を呼ぶ」は、「オリンピック」をモチーフとしたエピソードです。昭和を描くにあたって、それ題材としたのは何故ですか?

中島
あの時代のイベントで何を選ぶか?といったときに、1972年の札幌オリンピックでの金銀銅制覇(※スキージャンプ70m級)というのはすごく大きかったんです。

會川
札幌オリンピックのとき、僕は6、7歳ごろでした。当時の記憶はあるんですけれども、やっぱりディテールは分からない。もし僕が札幌オリンピックを題材に物語を書くとしたら、テロであるとかもう少し暗いほうに興味がいっていたと思うんです。中島さんのシナリオを読んだとき、当時イベントに参加していた記憶や金銀銅制覇に対する思い入れをものすごく感じました。すごくありがたかったですね。

中島
金銀銅制覇はリアルタイムで観ていてすごく興奮しましたね。当時の子どもたちはみんな笠谷(幸生)のモノマネをしてたんですよ。

――「昭和」をモデルとした作品世界ということで、中島さんにとっての「昭和」をお聞きしたいなと。

中島
それこそ自分語りになりますけど……。ちょうど良いタイミングでエポックメイキングが続々と出てきたんですよ。小学校1年生の『ウルトラマン』にはじまり、6年生のときは『仮面ライダー』に出会い。『仮面ライダー』の初期の13話って、実はすごくアダルトな雰囲気で「これまでのヒーローと違うぞ!」と子どもながらにすごく惹かれたんです。で、中学3年生のときに観た『宇宙戦艦ヤマト』も大人向けなアニメで「俺たちの観たいアニメがあった!」と。さらに20歳のときに観た『機動戦士ガンダム』は「俺たちが語れるものがある!」と。つまり、僕たちの世代というのは、“卒業”したくてもできない、呪われた世代なんです(笑)。

會川 
あはは(笑)。

――あらためて會川さんにお聞きしたいのですが、そもそもなぜ「昭和」を描こうと思ったんですか?

會川
「昭和」というよりも「昭和40年代」に特化して描きたかったんです。

中島
それは何でなんですか?

會川
ひとつは、子どもの頃の原体験として大きいということ。それと、「昭和40年代」がきちんと「エンタメ化」されていない気がしていて。もちろん、あの時代を題材に描く人がいないわけではありません。ただ、どうしてもアポロ計画や大阪万博など、大雑把にくくられてしまう傾向にあるし、大阪万博以前・以降でものすごく時代が変わっているにも関わらず、なんとなく「高度成長期の最後の時代」として語られがちで。

中島
なるほど。

會川 
庄司薫の小説、とくに『赤頭巾ちゃん気をつけて』が典型的ですけれど、その時代を経験した人というのは、「全部分かってるよね」と団塊世代に向けて、自分たちの共通認識でしか語らない。作品としては魅力的なんだけど、その背景にあるものが伝わってこない。そうした不満もあったんです。
「時代をエンターテイメントとして描く」という話でいうと、山田風太郎に触発されたところも大きいです。彼が「明治もの」を書きはじめたとき、業界の重鎮から「まだ明治は早いんじゃないか?」と批判を受けながらも、山田は想像上の話も織り交ぜながら明治を「伝奇」として描いた。であれば、「昭和」も僕なりのエンタメとして描いていいのではないかと。昭和40年代、僕は当時大量につくられていたアニメ、マンガ、特撮のヒーローに夢中になっていて、フィクション、ノンフィクションの区別なく、等価として受け取っていた。それらをクロスさせてひとつの世界として描きたい、昭和40年代をエンターテイメント化したい、というのが『コンレボ』をつくった大きなきっかけです。

■ 互いから見た“中島節”“會川節”は?

――作家、脚本家として、お互いをどう見ているのかもお聞きしたいです。先ほど『コンレボ』は會川昇の集大成と語られた中島さんから見た“會川節”というのは?

中島
うーん……。「組織対個人」、あるいは「敗れゆくものへの共感」、と言えばいいのかな……。僕はもうちょっと活劇寄りなんだけど、會川さんはけっこうクールで、全てのものを俯瞰的に見ている感じがする。「評論家」という言い方は違うんだけど……。

會川 
まぁ批評的ではありますよね。

中島
かといって、「客観的」というわけでもない。心情として、會川さんが内に秘めたものが脈々と流れている。そういう感じですね。


――會川さんは今のお話を聞いてどうですか?

會川
中島さんは編集者としてのキャリアをお持ちですから、そうやって批評的に言われてしまうと、おっしゃる通りだなと。「組織対個人」というのは、意識して書いているわけではないんですが、それは僕が会社員を経験していないことが大きく影響していると思っていて。組織に属して何かを成し遂げるということにあんまり魅力を感じていなかったし、どこかで信じていないんです。
それと、「俯瞰的」というのもまったくその通りで、僕はキャラクターの感情で引っ張っていく書き方はできないんです。キャラクターを規定するのはその「内面」ではなくて彼を取り巻く「外側」にあるという考え方で、その両者が拮抗しながら「どうなるか」という形でしか書けない。なので、中島さんのようなキャラクターで書ける方というのは羨ましいなと。

――逆に、會川さんから見て、“中島節”というのは?

會川
中島さんが扱う題材というのは、僕も大好きで、すごく共感します。たとえば、戦国もの、伝奇的な世界観、石川賢的なロボットアニメ、70年代的なスケバンアクションなど。ただ僕と違うのは、「エンタメのツボを心得ている」ということ。
演劇もやられているためか、お客さんの顔が明快に見えている気がしていて、観客の心を強く揺さぶること……「オリンをこする」と言うんですけれど、自分の感情ではなく、きちんと観客の感情に働きかけている。そのためには、キャラクターの内面に入りながら、でも、キャラクターと同化してはいけない。中島さんがキャラクターを糸で引いて操っている「人形つかい」のイメージだとすれば、僕は人形つかいになれなくて、気ぐるみに入って演じている感じですね。

中島
なるほど。

會川
あと、中島さんはジャンルを問わず幅広く活躍をされつつも、劇団☆新感線という根っこがある。そこは大きいと思うんですね。僕はそのときどきの仕事が全てになってしまい、「ここに戻ってくる」というのができないんです。なおかつ、中島さんは歌舞伎や時代劇など、いつか自分もやってみたいなと思っていたことに軽々とリーチをかけている。そのあたりに憧れもありますね。


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《沖本茂義》

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