■ 江戸風俗研究家・杉浦日向子が描く:独特の距離感のある『百日紅』
『百日紅』の作者である杉浦日向子。22歳の時に「ガロ」でデビュー以降、江戸を題材にした作品を描き、同時にエッセイストとしても活躍。90年代には漫画家の肩書きを捨て江戸風俗研究家として活動し、2005年に逝去した。
日本橋の呉服屋の娘で自身も江戸っ子だったという杉浦。江戸を舞台に葛飾北斎、その娘であるお栄、居候の善次郎らの日常が描かれた連作集『百日紅』は、そんな彼女の中核となる作品だ。
お栄は北斎に画才を認められるほどの浮世絵師だが、北斎からは「アゴ」「化十」と呼ばれる不美人。生娘であるお栄は北斎から「女はたしかにいい/時によっちゃあ俺もかなわないと思うよ/が男はいつだって俺の絵をはめ込んでるだけじゃねえか」と力不足を指摘されてしまう。其の十九「色情」でお栄が蔭間茶屋(蔭間=男娼)へ足を運ぶあたり、浮世絵師としての悩みはここにあるようだ。
だが作中でこの葛藤がドラマとして描かれているかといえば、そうではない。お栄は表情をあまり変えず、朗らかな笑顔を見せたのは北斎の末娘・猶といた時のみ。善次郎や他の登場人物についても同様で、この作品全体に渡って、読者は登場人物から一歩引いた視点から読むことになる。

また、江戸という時代は現実とあちらの世界との領域が曖昧な時代でもあった。死人に魔がさして動き出す“走屍(そうし)”が描かれる其の二「ほうき」、お栄の描いた地獄絵が持ち主の屋敷に奇怪な現象をもたらす其の九「鬼」など、『百日紅』には数々のホラーエピソードが登場する。
だからといって、ここに描かれている幽霊や妖怪、奇妙な現象は生きている人間に「私の話を聞いてくれ」と主張したり、何かに対する罰を与えようとするものではない。フッと現れて、はたと気がついた時にはもういなくなっている。こうした怪しいものの存在も、杉浦は江戸の日常として描いた。
杉浦は、江戸の人々をただ研究対象として観察するのではなく、一緒に感情を爆発させるでもなく、ひたすらそこにいた人たちを見守っていた。見守っているうち出来上がった物語を描いたのだと思う。

■ 偏愛が生み出すリアリティ:杉浦は本当に現代の人だったのか?
杉浦の一歩引いた姿勢を感じる一方、江戸への偏愛はすさまじい。ページを進めていけば、これが嘘の無い世界で構築されていることがわかるだろう。既婚女性・未婚女性の髪型の違いから着物の柄、小物の並びも。思わず「おおっ」と声が漏れたのは、棚や戸の木目まで描かれていること。それが何の木で作れていて、触れればどんな手触りなのか感じさせてくれる。あまりに細かな描写に、読み手は「実際に江戸に行ってたんじゃないか」と思ってしまうことだろう。
各話の扉絵は杉浦による浮世絵のほか、作中で描かれる浮世絵が巧みに描かれていることも、リアルな描写に一役買っている。画中画がおろそかならば、作品は成立しなかった。
この作品は均一な線と淡々とした語り口で進むが、江戸風俗に通じていた杉浦が描くことで非常にリアリティを伴っている。リアルといっても、現代に生きる誰も本物の江戸を知っているわけではないので「きっと江戸ではこんな風だったんだ」と生き生きとした想像が広がるという意味だ。
このマンガを読み終わる頃には、作者は江戸の町を歩き、見聞きしたことをマンガにしたのではないかという疑念が膨らむ。どこかにタイムマシンがあって、それに乗って江戸へ出向き見聞きしてきたことを描いたんじゃないのか。本当に現代の人だったのか。
なお、魑魅魍魎については、杉浦自身「幽霊を見ることがある」と対談やエッセイで語っている。もしかしたら、異形のものたちの描写は杉浦が目にしたものも含まれていたのかもしれない……と、作者について想像を巡らして楽しむまでがこの作品だろう。
[川俣綾伽]
『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』
5月9日(土)TOHOシネマズ日本橋、テアトル新宿ほか全国ロードショー
http://sarusuberi-movie.com