“秘めたる想いを映像に託す出崎演出” TVアニメ『ベルサイユのばら』演出における「光と影」-後編-:氷川竜介 | アニメ!アニメ!

“秘めたる想いを映像に託す出崎演出” TVアニメ『ベルサイユのばら』演出における「光と影」-後編-:氷川竜介

9月24日にBlu-ray BOXが発売されたアニメ『ベルサイユのばら』。本作の魅力をアニメ評論家の氷川竜介さんが、ふたりの演出家、長浜忠夫と出崎統の演出から紐解く。後編は出崎統に迫る。

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“秘めたる想いを映像に託す出崎演出” TVアニメ『ベルサイユのばら』演出における「光と影」-後編-:氷川竜介
“秘めたる想いを映像に託す出崎演出” TVアニメ『ベルサイユのばら』演出における「光と影」-後編-:氷川竜介 全 3 枚 拡大写真
[文:氷川竜介]

■ 秘めたる想いを映像に託す出崎演出

これに対する中盤から後半の出崎統監督は、革命の機運が盛り上がっていくことを前提に、より映画的な映像を見せていこうという志向が前面に打ち出されている。登場キャラクターの情熱それ自体は変わらないが、内に秘めたものを機微としてビジュアルに表出するように変わっていく。プロポーションも等身があがり、顔も憂いを秘めた雰囲気をたたえ、これが各人の行動や考え方の成熟のムードとして伝わってくる。

特に重視されるのは、映像の「呼吸」と「間合い」「流れ」だ。出崎統パートでも当然、ドラマチックな激情が炸裂する局面は多々あるが、フィルムのつなぎ方の緩急、疾走シーンなどカメラが動く方向性、アップ・ロングのサイズ比などで作画の表現力を何倍にも高め、映像のリズムが紡がれていく。よく話題になる3回PAN(*1)やハーモニー作画(*2)にしても、フィルムの生理が求める緩急のダイナミズムから来る必然性で使われて、文章における句読点や感嘆符の役割をはたしている。
カメラを構える作り手と観客の心が重なりあいながら、画面内の人物を追う。配役と観客の直接対決でないだけに、編集で飛ばした間や、ふとした表情変化や背景の隙間に想像力が膨らむ。大事なのは「誰がどういう心情で観ているか」ということだ。

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この要諦が如実に分かるのは、オスカルに影のように付き従うアンドレの目が失明していくプロセスである。少しずつ光を喪う主観的な映像が、恐怖と不安を高めていく。ところが、その不幸が一気に反転するのが第37話「熱き誓いの夜に」だ。
やがて迫る運命を暗示するかのように、父が画家に命じて描かせたオスカルの肖像画。それを絶賛するアンドレは、目が見えないがゆえに絵の実物と違う印象を語りだす。その瞬間、アンドレが心で観た肖像画のイメージがオスカルと、さらに観客と共有される。物理的な視力がないからこそ心が結ばれるというこのシーンこそ、全編のクライマックスだ。その直後の具体的な頂点は、追認でしかない。
こうした前半にまさるとも劣らない情熱が後半でも描かれ、圧力を高めて昇りつめていく。この激流の感覚がアニメ『ベルサイユのばら』の真骨頂である。

再見してみると意外なことに、後半で多用される「夕景の窓越しに飛ぶ鳩」「宮廷の前庭を彩る噴水」は、前半にも多々登場している。しかし後半、夕景の色は一様でなくなって空気の揺らめきをたたえる。ピンホール透過光(*3)がきらめく華やかな噴水は、常に風にさらされ千々に乱れた水しぶきが舞うようになる。
どちらも演出のひとつのあり方だが、こうしたギャップも全体としてのドラマを形づくっている。大勢として1980年代以後、「映画にしていく」という志向性がアニメ界全体で高まっていく。ただし、それは本作後半が前半を否定するものではないように、アニメが成熟していく象徴だった。そして作中何度も強調されているように「光と影」は本来分かちがたいひとつのもの。そうしたことを考えさせてくれる点で、『ベルサイユのばら』は非常に重要な作品なのである。

(*1) 3回PAN
1枚絵を3回繰り返して印象を強める演出方法。その際、カメラは横にスライド移動するのでPAN。
(*2) ハーモニー作画
ベタ塗りのセル画に背景美術のようなタッチを入れる手法。それにより、アニメの1枚の絵でも画面が豊かになる。
(*3) ピンホール透過光
針であけた穴から光を通して撮影すると、1点がピカーッと光る効果が作れる。応用として、たくさん穴(ピンホール)を開けたマスクの下でガラスを動かすと光が乱反射して、川や海の水面 のキラキラを作ることができる。

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『ベルサイユのばら』 Blu-ray BOX
/ https://www.bandaivisual.co.jp/tms_50th/verbara.html



(C)池田理代子プロダクション・TMS

《氷川竜介》

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