国内外で絶大な人気を誇る創作集団・CLAMPの代表作である『魔法騎士レイアース』が30年以上の時を経て再びアニメ化。メインキャストに佐倉綾音、大久保瑠美、高橋李依らを迎え、10月7日より放送スタートとなる。
『魔法騎士レイアース』が令和に蘇る今、名作が揃うCLAMP作品にあらためて注目。アニメライターが選ぶお気に入りの1作をご紹介したい。

■令和に再び『ちょびっツ』に触れる― 恐怖とあたたかさが共存する物語に何を感じるのか?
2000年9月から2002年10月まで『週刊ヤングマガジン』にて連載されていた『ちょびっツ』。本作は人型パソコンが普及した世界が舞台で、浪人生の本須和秀樹が、近所のゴミ捨て場から人型パソコンを拾ってきたところから物語が動き始める。かわいい女性の姿をしていたそのパソコンは「ちぃ」としか喋らず、記憶が何もない様子。本須和は、そのパソコンを「ちぃ」と名づけ、一緒に生活していく。
とにかく“いいやつ”な本須和の主人公感、一般常識をはじめ何もかもを知らない「ちぃ」がヘンテコな行動をしつつも少しずつ学習していく様子、「ちぃ」が本須和のために行動する健気な姿、そんな「ちぃ」の真相が明らかになっていく物語。当時は近未来的な世界観へのワクワクも含めて楽しく、ときに切ない気持ちになりながら読んでいた。一方で、人工知能が進化し、仕事にも日常生活へも普及しつつある“AI時代”のいま『ちょびっツ』を読むと、当時にも増して「人間関係」について考えさせられる。
AIに困りごとや悩みを相談したり、友達のように会話してリラックスしたりする人も出てきた昨今。今はまだ「便利」「楽しい」の域を出ないかもしれないが、もし人型のAIが登場したとしたら、果たして私たちはどうなっていくのだろうか? 『ちょびっツ』の世界では、人型パソコンの普及で幸せになった人も、傷ついた人もいるということが描かれている。
たとえば、本須和が通う予備校の講師・清水多香子は夫がパソコンに夢中なあまり、家庭が崩壊した。彼女の「(家の)チェーンをかけるってことはダンナは自分が帰ってくるのをもう忘れちゃったのだろう」「自分なんかいてもいなくてもいいんだなあってそう思ったらなんかどうでもよくなっちゃった」というセリフからは、誰かに忘れられる寂しさと怖さを感じた。
あくまでマンガ、ファンタジー作品ではあるが、同じように傷つく人が出てくるという未来が訪れる可能性がゼロであるとは、決して言い切れないのではないだろうか。
そんな恐怖にも近い感情を抱く一方で『ちょびっツ』は、思い出や記憶の大切さ・かけがえのなさを描いていると私は感じている。思い出を築くのは、決して人対人だけではない。対象が例えプログラムされたことであったとしても。私自身、アニメやゲームで心を動かされたことが何度もある。その思い出はいまの自分に間違いなくつながっている。マンガを読み進めながら、そんなことを振り返って、胸が熱くなった。
再びAI時代の話になるが、このままAIが進化していくと、仕事・生活のあり方はさらに変わっていくだろう。きっと、いま私が生業のひとつとしている文章を書くという仕事の一部も、いつかAIがほぼ完璧にこなせるようになる時がやってくる。
そんな時代だからこそ、私は人の想いがより大事になってくると信じている。このコラムもまさにそうだ。もしかしたら、AIだともっと上手な文章が書けるのかもしれない。それでも、私が『ちょびっツ』を読んで感じた恐怖とセリフの節々から感じるあたたかさは、自分の言葉だから伝わることもあると思っている。また、インタビューは誰かの想いを伝え、誰かに影響を与えて記憶に残るものだと信じている。『ちょびっツ』を読みながら、あらためて自分の仕事への誇りを感じることができた。
自分語りが過ぎてしまったが、AI時代を生きる私たちにとって、『ちょびっツ』は未来を考えるきっかけのひとつになるかもしれない。青年マンガ誌での連載であったことからか、少しアダルト寄りの描写もあるが、そういう表現が苦手じゃなければぜひ一度触れてみていただきたい。
……しかし、CLAMP先生は連載がスタートした2000年の時点でAIが日常生活に普及していく未来がそれほど遠くないことを予期していたかのだろうか? 先見の明に感服するばかりだ。


