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【アニメで戦争の記憶継承】「この世界」片渕須直監督―戦争を直接知らないからこそ、伝え続ける意義がある

2021年8月15日は、終戦から76年。『この世界の片隅に』片渕須直監督が語る、戦争を伝えるためにアニメができることと「その先」とは?

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【アニメで戦争の記憶継承】「この世界」片渕須直監督―戦争を直接知らないからこそ、伝え続ける意義がある
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戦争を伝えるために日常を大切にする理由

片渕監督は、『この世界の片隅に』の制作時、戦後に一般化された記号的表現は用いず、当時の公文書、写真、日記、新聞や雑誌などで徹底して調べ直した。そこから見えてきたものは、モンペを格好悪いと女性たちが感じていたことなど、現代の我々とそれほど違わない、当時の人々の実像だった。

▲片渕監督が参考とした当時の婦人誌。

戦時中という時代がどんなものだったのか、できるだけその本当の姿に近づくため、片渕監督は映画やドラマなどでもっぱら取り上げられる特定の日付の劇的な瞬間よりも、それ以外の日々のなかにあった日常を描くことを重視した。

▲戦時中に発行された型紙カタログ。

「戦争といえば空襲や原爆など、大きな悲劇が起きた瞬間を中心に考えてしまいがちです。でも、それ以外の日はどうしていたかというと、ご飯炊いて、洗濯して、働いてと、ずっと日常生活を営んでいたわけです。戦争を体験された方は、体験のハードな瞬間を語り、それ以外の普通の日々のことは『語るほどの価値のないもの』と思われるのでしょうが、その前後の時間の圧倒的に長かった日々のことを知らなければ、戦争が何を損ねたのかが曖昧になってしまうんです」

太平洋戦争は、1941年12月8日の真珠湾攻撃から始まったとされるが、『この世界の片隅に』では開戦の瞬間は劇的に描かれない。なんとなくすずさんたちが日常生活を送っていると、いつの間にか戦争が始まっている。

すずさんは、日々、井戸から水を汲み、畑を耕し、配給のお米を大事にしながら食事を用意する。そして、そんな日常が続いていくうちにいつの間にか生活が苦しくなり、空襲に襲われる頻度も上がっていく。

そうした生活のディテールを積み重ねた結果、当時を知る人々からはあの時代の空気感や生活が再現されていたと評価されることが多くなった。

しかし片渕監督は、当事者からも太鼓判を押された本作すら、「広大な世界の前に開いた小さなひとつの窓にすぎない」と語る。

「『この世界の片隅に』は文字通り『片隅』を描いた作品です。その外にはさらに広い世界が拡がっているんです。この作品はあえてひとりの人物の体験に限定して、その目から見えるものだけを描いたものです。戦争の全てを100%表現できるわけではないということこそ、伝わってほしいと思っています。なので、そこから先はみなさんで視野を広げていくことが必要です」

▲『この世界の片隅に』原画。

『はだしのゲン』から受ける印象が変わった

様々な思い込みやステレオタイプな表現を喝破し、事実を丹念に調べ上げて作品に反映させた片渕監督もまた戦後生まれだ。巷に流布する戦争のイメージは実像から離れており、思い込みがあるかもしれないとどのように気が付いたのだろうか。

▲舞台・広島でロケハンを行う片渕監督。メジャーを使い、側溝の正確な長さを測り舞台描写に活かした。

「戦時中に書かれたものに触れて気づきました。当時の公文書などがたくさん残されていますが、そういうものを読むと、当時生きていらっしゃった方々の体験談などと、必ずしも一致しないんです。あるひとつの視点からだけでは把握できないものがあるのだとわかるようになりました」

▲公文書ほか作品づくりで参考にした資料。

片渕監督の幼少期、戦記物の漫画が多く描かれていたという。学生時代には「少年ジャンプ」で『はだしのゲン』が登場し連載当時に読んでいたそうだ。

学校の図書館にも置かれるこの戦争漫画は、日本人の戦争被害のイメージを形成することに貢献してきた。片渕監督は、子どものころ読んだ印象と、様々なことを丹念に調べて思い込みを排した今では異なる印象を持つという。

「『はだしのゲン』は、ガラスが顔に突き刺さったままの人や、手の皮がめくれてだらりと垂れ下がったまま手を前に突き出して歩いている人など、ショッキングな描写があります。連載当時読んだ時は、人が異形な存在に変えられてしまう怖さとして認識してしまいました」

▲『はだしのゲン』単行本表紙。

当時はなぜ人はそのようになってしまうのかがわからず、漠然とした、悪魔的な魔法のような得体の知れない力を恐れるような気持ちだったという。だが、後年様々なことを調べることで、その印象は変わったそうだ。

「原爆は炸裂する瞬間に、ごく短い時間に強烈な熱線を発します。それが一瞬で皮膚に到達すると、皮下脂肪まで達して溶けてしまうので、皮膚がだらっと剝がれてしまう。でもそこで熱線の浸透が終わると筋肉は動かせるので前に突き出せるわけです。そういうことなのだな、と自分で理解できるようになると、あれは人間が異形な者変えられたのではなく、とてもひどい火傷を負った姿なのだ、と理解できるようになりました。それからは、自分の身の上に置き換えて考えやくすくなりました」

正しい認識を欠いた恐怖は、時に差別につながることもあると片渕監督は警告する。

「例えば当時、放射能は『伝染るんじゃないか』と言われて被爆者が差別されることがありました。絶対にそんなことはありえないことです。そういう流言は、2011年の福島の原発事故の時もありましたし、今コロナについても同じようなことが起きています」

▲原爆投下から8カ月が過ぎた広島市街。写真提供:共同

漠然とした恐怖に流されず、正確な知識で怖がることは、現代の我々も徹底できていない。戦争から学べることは、戦争そのものだけでない。より普遍的で大切なことを知る機会にもなる。

→次のページ:戦争を伝えるためにアニメができることと「その先」


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《杉本穂高》

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