「シン・エヴァ」さようなら、シンジくん―― 大人になったシンジくんに“エヴァロス”オタクが思うこと | アニメ!アニメ!

「シン・エヴァ」さようなら、シンジくん―― 大人になったシンジくんに“エヴァロス”オタクが思うこと

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の結末を迎え、作品に取り残された気持ちになっていませんか? 私たちのシンジくんはどこへ行ってしまったのか、そして“ゲンドウとの戦い”という名の親子ゲンカについて振り返ってみました。

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 [文=渡辺由美子]


■難民がいっぱい! エヴァロス現象


私の周囲では、「エヴァロス」という現象が起きています。2012年『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』公開から9年。待ちに待った『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』をやっと観られた! シンジくんも現実に還ってきたことだし、ようやくハッピーエンドを迎えられましたね、ばんざーい!というはずなのですが、私のように未だエヴァロスになっている人もいたりします。


「エヴァを舞台挨拶も含めて2回観たわけですがなんかラストでモヤモヤする。
我は卒業したいんじゃなくて、
ピリピリする温泉につかっていたいんじゃないか………?」
こんなひとりごとみたいなツイートに135いいねがつくとは……。
皆さんも何かしらエヴァロスになっていたのですね!(仲間をみつけると喜ぶオタク)

そこで改めて周囲やネットを見てみたのですが、何かしらの「エヴァロス」の人、帰るところがなくて「難民」のようになっている人が多く観測できました。
推しが別のキャラとくっついちゃったカップリング難民、トレーディング缶バッジやコースターをカヲルくんに交換してもらえないグッズ難民(エヴァ界隈にはグッズ交換の習慣があまりない)……といったキャラにまつわるエヴァロス。

また作品についても、皆それぞれに「自分が考えるエヴァ像」があるので、自分の思いに共感してくれる人が意外と見つからなかったり、「庵野監督は昔は自分と同じオタクステージにいたのに、監督だけ幸せになってしまった」と語る年季の入ったエヴァロス(庵野監督ロスですね)の方までいらっしゃったようです。

私が一番大きく感じたエヴァロスは、「あのシンジくんが大人になってしまった」ことです。
シンジくんは物語の中で、いつも自分の居場所を求めてさまよっていたはずなのに、ついに現実に居場所を見つけてしまいました。物語的にはハッピーエンドなのですが、寂しいというか、心がしんどいです。ひとりだけ現実に帰らないでほしい……! 
私にとって、エヴァ=シンジくんだったことがわかりました。


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■ 旧劇場版から引きずってるエヴァロス


私が新劇場版シリーズのラスト、『シンエヴァ』で感じたのは、「庵野監督自身が大人になろうとしている」ということです。

そもそも97年の劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』は、物語の骨子は『シンエヴァ』は変わらないものの、終わり方はシンジがアスカの首をしめて「キモチワルイ」と言われて終わるという、ハッピーエンドとは言いがたいものでした。

そして劇中では「劇場でエヴァを観ている観客」という実写映像が映し出され、それは私たちアニメファンに“現実に帰れ”というメッセージを送っているように見えました。
当時、エヴァが「社会現象」と言われ、アニメでもカッコいいグッズが出るようになって、ようやくオタクが市民権を得たと思ったら、スクリーンから「現実に帰れ」というメッセージが。
監督が何を言ってるのかわからないよ……!

■シンジくんには幸せになってほしいけど、悩んでいて欲しい


そんな放り出され方をしたのですが、その後に新劇場版シリーズが始まりました。
シンジくんを取り巻くミサトたち大人が、シンジと同じような自分の悩みで潰れてしまう存在ではなくて、子どもを導く大人になっている。そして、シンジくんが意志を持った少年になっていることにも旧作との違いを感じて感動しました。
旧作の頃に比べるとマイルドになったな、と感じていたら、『Q』で、もう一回シンジがミサトさんたちに、“ニアサードインパクトが起きたのはお前のせいだ”と言われて突き放されてしまいました。シンジに感情移入している私はすごくショックを受けつつも、一方で「いいぞ! それでこそエヴァだ!」という気持ちになったのでした。

“シンジくんには幸せになって欲しい!”
“シンジくんが他人とコミュニケーションが取れなくて、落ち込んだところも観たい!”
矛盾しているようで、矛盾はないのです。
幸せになって欲しいと感じているのは「物語を鑑賞する」自分。
落ち込んだところが観たいのは「同じ悩みを抱えた人物に共感する」自分。
「良い物語が観たい」のと「人物への感情移入」は別個のことで、そこに矛盾はないんです。

私にとってシンジくんは、人とのコミュニケーションだけにとどまらず、時々落ち込んだり悩みを抱えている自分に、“僕も同じだよ”(幻聴)みたいに、寄り添ってくれる存在なのだと思いました。

そのシンジくんがスーツを着て大人になって神木(隆之介)ボイスでホームから駆け出すところで、「いや、待って欲しい」という気持ちになったのは、仕方がないことだと思います。


→次のページ:【ゲンドウへの共感と萌えポイント】
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《渡辺由美子》

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