現実世界の我々と同じく、アニメに登場する主人公たちも「自分の本当の居場所」を探すために旅をしているようなものだ。
2019年は素晴らしいアニメ映画にたくさん出会えたが、とりわけ「居場所」をテーマとした作品が印象に残った。そこで今回は「居場所」を軸として、象徴的だった7作品を振り返りたい。「居場所のなさ」にどう折り合いをつければ良いのか、その答えが見つかるよう祈りを込めつつ――。
あの日描いていた未来に、今自分は立てているか?
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『幸福路のチー』(C) Happiness Road Productions Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
「あの日思い描いていた未来に、私は今、立てている――?」
そんなキャッチコピーが象徴するように、「自らの居場所」を突き詰めて描いたのが『幸福路のチー』だったと思う。
本作は台北郊外に実在する「幸福路」を舞台に、祖母の死をきっかけに帰郷した女性が子ども時代の思い出とともに自分を見つめ直す姿を描いた、台湾発のアニメーション映画だ。
本作をご存知ない方に向けてざっくりと説明するならば、“台湾版『おもひでぽろぽろ』”だろうか。
印象的なのは「理想と現実の落差」だ。ままならない現実に対して、アニメーションならではのファンタジーな空想を交えつつ、子ども時代の「未来への憧れ」が描かれるが、希望に満ち溢れていればいるほど理想とのギャップが逆照射されるのである。
主人公チーと同じように、視聴中、子ども時代の記憶が何度もフラッシュバックしてきた。でもそれは「ノスタルジー」といった生易しいものではない。日々の忙しさにかまけて目を反らしていた部分に、頭をガッと鷲掴みされ直視させられるような感覚。
ラストも切ない後味を残すもので、視聴後思わずグッタリしてしまったが、「限りある時間をどう生きるか?」を考えたとき、自分が歩んできた道を振り返り、今の立ち位置を確認することは必要不可欠であるはずだ。
心地よく生きられる場所を再確認する「癒やし」の映画
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『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』(C)2019日本すみっコぐらし協会映画部
「自らの居場所を再確認する」という機能は同じだが、痛みを伴う『幸福路のチー』に対して、「癒やし」となったのは『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』だった。
本作は、「喫茶すみっコ」の地下室で見つけた古い絵本の中に吸い込まれてしまったすみっコたちが、そこで出会ったひとりぼっちの迷子「ひよこ」 の家を一緒に探してあげる、というストーリー。
可愛らしいイラストや優しい世界観に癒やされつつも、シリアスな現実や大きな選択を突きつけるラストなどそのギャップが印象的で、映画公開後、口コミが話題を集めスマッシュヒットにもつながった。
本作はゲストキャラ的な立ち位置にある「ひよこ」が「自分の居場所を見つけるまでの物語」だ。ここでポイントなのが、「ひよこ」に対して、そのほかすみっコたちはすでに“すみっコ”に居場所を見つけていること。
すみっこ=マイノリティ同士で独自のコミュニティを形成し、自分のネガティブな悩みを肯定しつつも、めちゃくちゃ楽しそうに暮らしているのである。「オタク」のメンタリティを持つ筆者としては思わず共感してしまうものがあったし、映画館を出たあとには「つながり」を大事にしようという気持ちにさせられた。
2016年版以上に「居場所」の大切さが浮き彫りに
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『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(C)2019 こうの史代・双葉社 / 「この世界の片隅に」製作委員会
現代に生きる我々にとって「居場所」は切実な存在だが、「居場所がなくてつらい」なんて『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を観たあとには気軽には言えなくなる。
本作は、こうの史代原作、片渕須直監督によって2016年に公開された『この世界の片隅に』に250カット以上もの新シーンを追加したもの。元のタイトルからして「居場所」を主題とした作品であるが、2016年版と比べてすずさんが置かれた環境が深刻化しており、タイトルが持つ意味の重さをよりズシリと感じられる映画となっている。
とくに遊郭の娘・白木リンとの追加エピソードや、すずさんが北条家に嫁いだ顛末がポロッと明かされる場面が加わったことで、彼女の心情やその行動の持つ意味がガラリと違って見えてくる。
すずさんの切迫した状況と合わせて、“居場所”の大切さを浮き彫りとするのが、細部まで丁寧に描かれたアニメーション映像。一貫して「生活」を描いてきた片渕須直監督だけに、何気なく食卓でご飯を食べる何気ない日常すらも大切なものだと気づかせてくれる。
愛する人のもとを去ってさえも…
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が示したように、いつの時代の人にとっても居場所は重要だ。だが、その居場所をどこに見つけるか、どうやってつくり出すかは、置かれた環境や時代によって違ってくる。そういった点で、ディズニーやピクサーは、“今の空気”をしっかりと取り入れ、キャラクターが導き出す結論もつねにアップデートし続けている。『トイ・ストーリー4』『アナと雪の女王2』もそうだった。
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『トイ・ストーリー4』(C)2019 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
“完ぺきな結末”と称される『トイ・ストーリー3』に対して、『トイ・ストーリー4』はウッディのラストの決断をふくめてファンの賛否を割った。
「1」から「3」までは、「おもちゃは人間の子に大切に遊ばれてこそ幸せ」という人間を中心に描かれてきたが、「4」ではおもちゃであるウッディの視点で「自らの意志で居場所や幸せを選ぶ」という結末が描かれた。
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『アナと雪の女王2』(C)2019 Disney. All Rights Reserved.
『アナと雪の女王2』のラストも、これに近い趣がある。自身の魔法の力の謎を解き明かす旅に出かけたエルサは、自らのバックボーンを知り、内なる声を聞くことでついに自分の本当の居場所を見つける。
映画冒頭での愛するアナと一緒に暮らしながらも「みんなと違うと感じてきた」と見せる暗い表情と比べると、ラストのエルサの晴れやかな笑顔はなんと尊いことか。
このエルサとウッディの決断は、自らがいるべき本当の居場所のために「愛する者のもとを去る」という点で共通している。さらにその判断基準が他者や外部ではなく、自らにあることも今っぽい。
ウッディの選択に対して「おもちゃとしてどうなのか?」や、エルサに対して「姉妹仲良く一緒にいてほしい……」といった意見もあるが、これは言ってしまえばエゴではないだろうか。
「世界の安定」と引き換えに選ぶ覚悟
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『天気の子』メインカット(C)2019「天気の子」製作委員会
物語の結末やキャラクターの決断が、賛否とともに大きく反響を集めたのが新海誠監督の『天気の子』だ。
家出少年である帆高の「神様、お願いです。これ以上僕たちになにも足さず、僕たちからなにも引かないでください」というセリフが「居場所のなさ」を端的に表している。
帆高はクライマックスで「世界の安定」と「ヒロイン陽菜」の二者択一を迫られる。初見時、「最後には“奇跡”が起きて(これまでのアニメ作品多くみられたように)世界とヒロイン、どっちも救うんでしょ」と安易な期待を抱いていたため、その結末には衝撃を受けた。大勢の人の不幸を招き、自らを優先させた帆高の選択に対して、怒る観客も多かったが、それゆえに帆高と陽菜が切実に求めた「居場所」の重みが際立つ結果となった。
ガムシャラに進むことでつかむ未来
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「劇場版『ガンダム Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」(C)創通・サンライズ
新海誠監督がインタビューで語っているように、『天気の子』は先が明るくない今の時代において、大人たちの憂慮を軽々と飛び越えていく若い子どもたちの物語をつくりたい、という思いで描かれている。
ここで思い出すのが、富野由悠季監督が「子どものため」を徹底してつくった、劇場版『Gのレコンギスタ』だ。
振り返ってみると、原点となる『機動戦士ガンダム』も主人公が「居場所」を求める話であったと言える。少年アムロはガンダムに乗り戦果をあげることで、大人たちに自分を認めてもらい「居場所」をなんとか作り出そうともがいていた。
富野監督が「作品の主義主張を込めた」と語るポスタービジュアルを見ると、子どもたちの躍動感、エネルギーに満ち溢れた姿が印象的だ。主人公ベルリはG-セルフとともに各地を旅していくが、その場その場でもがきつつ、ガムシャラに前に進み続ける。そこに「居場所」について内省している暇なんてない。
◆ ◆ ◆
2019年の劇場アニメを「居場所」を軸に振り返ってきた。フィクションに生きる彼らが抱える苦悩やその果てに導き出した選択は、決して他人事ではなく、未来が明るいとは言えない現代に生きる我々と地続きであるはずだ。
これまでもこれからもアニメのキャラクターたちは「居場所」を追い求め続けるだろうが、2020年以降はどうか。注目すべきは、2020年6月27日に公開を控えた『シン・エヴァンゲリオン劇場版: 』だろう。
思えば碇シンジも居場所を切実に求め続けてきた主人公だ。TVシリーズ・旧劇場版も当時の世間の人が抱える悩みや不安が織り込まれていたが、20年以上経ったいま、我々はまた違った悩みを抱えている。シンジの選択やその意味合いは、当時とまったく同じものにはならないはずであり、今から楽しみだ。