ミュージックレイン3期生・相川奏多「チャンスがあるならやるしかない!」【インタビュー】 | アニメ!アニメ!

ミュージックレイン3期生・相川奏多「チャンスがあるならやるしかない!」【インタビュー】

「ミュージックレイン」が、2017年に第三回ミュージックレインスーパー声優オーディションを実施。相川奏多、橘美來、夏目ここな、日向もか、宮沢小春という、5人の新人がデビューを飾った。「アニメ!アニメ!」では、5人全員にインタビューを実施。1人目は、相川奏多。

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相川奏多 インタビュー
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声優やアニメソングアーティストを中心にマネジメント・プロデュースを手掛ける「ミュージックレイン」が、2017年に第三回ミュージックレインスーパー声優オーディションを実施。相川奏多、橘美來、夏目ここな、日向もか、宮沢小春という、5人の新人がデビューを飾った。

「アニメ!アニメ!」では、5人全員に初となるインタビューを実施。先日公開した5人での座談会の次は、一人ひとりにスポットを当て、デビューのきっかけ、オーディションでの出来事などを聞きつつパーソナルに迫っていく。

ミュージックレイン3期生インタビュー連載


第1弾:ミュージックレイン3期生が遂にデビュー! 5人の素顔、声優としての展望に迫る座談会【独占インタビュー】

1人目は、相川奏多だ。

相川奏多 インタビュ
兵庫県のなかでも華やかな街で生まれ育った中学3年生。

そんな最年少の彼女が、年相応の明るい笑顔と大人びた語り口でこれまでのことを語った。
[取材・構成=松本まゆげ]

■アニメに出会い感受性が爆発


――まずは、声優に興味を持ったきっかけから教えてください。

相川:私、小さい頃は歌を歌うことが好きで、小学校低学年のときには「いつか歌を歌う職業に就きたい」と思っていたんです。
それからしばらくはそういう気持ちでいたんですが、5、6年生くらいのときにアニメを好きになって必然と声優さんの存在を知ったんです。
しかも、好きで観ていた作品では、メインキャストの方がエンディングの曲まで歌っていたんですよ。

――さらに興味をひかれたと。

相川:はい。「声優さんは歌を歌うこともできるんだ!」と知って、どんどん興味がわいてきました。
あと、同時期に読書が好きになって、声に出して読むのが日課になっていたこともあり、声で表現する演技というものも気になっていたんですよね。

――なるほど。それなら、演技も歌もできる声優は気になりますね。ちなみに、そのとき観ていたアニメって何なんですか?

相川:『七つの大罪』です。エンディングも歌っていた声優さんは、先輩の雨宮天さんなんです。

――なんという偶然。

相川:本当に! 子ども向けアニメを観ずに育ってきた私にとって、『七つの大罪』はほぼはじめて観たアニメでした。
しかも画面が目まぐるしく動く戦闘モノで、大声を出しながら闘う姿はすごく刺激的だったんです。そのうえ、「エンディングまで!」って(笑)。

――情報量が多かったんですね。

相川:そんな感じでした(笑)。そこから観るアニメが増えてきましたね。『七つの大罪』のほかに好きな作品は、『Occultic;Nine -オカルティック・ナイン-』。本もそうなんですが、深い内容の作品が大好きなんです。
じっくり内容を理解していかないと振り落とされちゃうような。

あと、現実を超越したようなお話も好きで。『Occultic;Nine -オカルティック・ナイン-』はまさにそんなアニメだったんですよね。あとは、『黒子のバスケ』も!

――またちょっとテイストが違いますね。

相川:バスケがすごく上手な父の影響で、私もバスケをやっていて。だから『黒子のバスケ』も好きになりました。ちなみに、中学ではバスケ部に入りたかったんですけど、結局ほかの部活に入っちゃったんですよね。

――というと、どんな部活ですか?

相川:英語を使って演劇をする部活です。小さい頃から英語を習っていたので興味がありましたし、部活の中でもその部は花形だったんですよ。だからやってみたくて。声優さんが学生時代に演劇をしていたという話もよく聞いていたので、基礎を学べたらいいなと思い入りました。

――バスケをやっていたとはいえ、どちらかというと文化系なんでしょうか。

相川:どうなんでしょう? 小学校の低学年の頃は休み時間のたびに外で鬼ごっこをしていたんですけど、高学年になって読書にハマってからは外より中で遊ぶようになったんです。
そのあたりに関しては文化系かもしれませんが、小学生のころはクラブ活動で陸上をしていたので体を動かすことも好きです。

■チャンスを掴み新しい道を切り開いた


――では、オーディションを受けたきっかけは何だったんですか?

相川:私の家は「勉強をしっかりやろう」という家で、私立の学校に行かせてもらってちゃんと勉強して、医学部に入ってお医者さんになる、という道筋があったんです。

――芸能のお仕事とはまったく違いますね。

相川:「歌を歌う職業」「声優」といったお仕事に憧れはあったものの、医者自体は昔から決まっていたことで、私にとっては「なるんだろうな」と当たり前のように思っていました。

「将来『あのときああしていればよかったと』後悔しないように」と、親から1年間だけ猶予をもらったんです。
「1年だけチャンスをあげる。1年で実らないなら、多分その先も実らない。だから今できるところまでチャレンジしてみなさい」って。だから、チャレンジすることにしました。

相川奏多 インタビュー
――そのタイミングで、ちょうどミュージックレインのオーディションが。

相川:そうなんです。このオーディションは親が教えてくれました。チャレンジの時期だから、応援してくれていたのかもしれません。
そうして応募したら、書類審査が通り2次審査に進めました。

――2次審査はどうでしたか。

相川:質疑応答や演技、歌の審査があったんですが、会場に行ったらまわりには「歌を習ってた」「演劇を習ってた」という人がたくさんいて不安になりました。私は、歌も演劇も習っていたわけではないので。

だけど、今できることをやるしかないから。まわりのことはひとまず置いておいて、自分にできることをやりましたね。……でも、歌の審査で緊張して声が震えて、うまく歌えなかったんです。質疑応答も、「これから身長伸びますか?」と聞かれて、はいもいいえも出ず(笑)。

――どうなるかわからないですからね(笑)。

相川:その受け答えもうまくできなかったので、3次審査に進めたときはびっくりしました。郵送で通知が来たときは「本当に私宛?」って、親と送り先を何度も確認したくらいです(笑)。

――緊張したとはいえ「まわりはまわり、自分は自分」と割り切れたのが功を奏したのかもしれませんね。ちなみに、歌は何を歌ったんですか?

相川:2次では、松任谷由実さんの「卒業写真」を歌いました。ジブリ好きで、(『魔女の宅急便』主題歌の)「やさしさに包まれたなら」をきっかけにユーミンさんを聴くようになったんです。
竹内まりやさんの「元気を出して」とどちらを歌うか最後まで悩んでいたんですが、当日母親とカラオケに行って歌ってみて、その日歌いやすかったほうに決めました。

そして、3次は伊藤由奈さんの「Precious」を歌いました。今度は自分なりにうまく歌えたので、その後の質疑応答も自信を持って受けられました。

――そうして3次審査にも受かり、最終審査の合宿がありましたよね。

相川:全国から選ばれてきた人たちだから、ここでダメだったらもう一生会えないかもしれない。だから、ライバルというよりは仲良くなって帰ろうという気持ちでした。
もちろん審査もありましたけど、とにかく楽しく過ごすようにしていましたね。

それから数日して、全員受かったことがわかって、すごく嬉しかったです。

――相川さんにとっては、医者以外の道ができました。

相川:14年間医者になるという道しかなかったですからね。唐突過ぎて現実味がなかったです。私の人生に、突然もう一つの道が出来た瞬間でした。

――かなり大きな決断です。覚悟も相当必要だったかと。

相川:うーん、この道(医者)から逃げたかった気持ちも少しはあったのかもしれません。現実は医者だけど、別の夢もある。そんな夢の道が開けたので、覚悟が出来ました。チャンスがあるならやるしかない!って。

――ご家族には、お祝いしてもらえました?

相川:「おめでとう!」ってすごく喜んでくれました!


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《松本まゆげ》

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