■今の“ぼくらの”へのアプローチから生まれた新たな「敵」
現役中高生の話を聞いた中で、話の骨子に関わる事実が浮かび上がった。
村野「『好きな女の子に気に入られたい』とか『友だちを増やしたい』など、根本の部分は自分の子ども時代と同じだなと思いました。一方で、周囲の環境はまったく違う。置かれている環境が違うと、当然考え方も違っていて、何カ所か話の枝葉の部分を考え直す必要があることがわかりました」
大河内「僕が子どものころは、『大人ってズルい、あんなこともこんなこともできて』という思いに代弁されるように、大人が占める面積が大きく見えていた。それこそ、家庭と学校の友だちという狭い世界で生きていたんです。
でも今はSNSで世界中の人と繋がれるし、学童やスポーツクラブなど学校外での活動の場も多くて、そもそも世界が広い。そもそも大人が占めている面積は小さくて魅力的でも強力でもないし、『早く大人になりたい』という魅力もない。
でも、この社会を維持してくれていることは、ちゃんと理解しているんですね。そして、自分もやがてそんな『大人』になるだろうと、悟っている」
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村野「話を聞く中で、はっきりと『大人は味方だ』と言われました。 それを言われると、原作との乖離が大きく、捉え方が違ってきますから。
今の子たちは、いざとなったらスマホ1つで大人をやりこめられる力を持っています。だから、大人に反発して生きづらい道を選んでまで、大人に対抗したい気持ちがない。自分たちの『解放区』にしても、今はネットを使って簡単に居場所が確保できます。
では、今の子が自由になったかというと、決してそうではありません。彼らが大切にしているのは、自分の中での人間関係。自分だけの場所を手に入れても、そこを守るために余計な心労があって。
やはり現代の子も、「解放区」を手に入れるために四苦八苦しなければいけないんだなと思いましたね」
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ヒアリングを通じ、「大人」VS「子ども」の対立構造は現代にそぐわないことが判明した。しかし、今の“ぼくら”の内面を知ったことが、映画での「新たな戦い」に繋がったという。
村野「『大人』と対決しなければいけない状況になったときに、その『大人』が自分の目の前にいる誰かというのはもちろんあります。
そうではなく、だんだん『大人』になってしまっている『自分』に対して、どういう行動を取ればよいのかという選択も、『大人』との戦いになるだろうなと考えました。
大河内「敵が、目の前にいる『大人』である必要はない。ドラマの基本は、人が何かを乗り越えて成長することですから。
今の子にとっての一番の枷は、自らが作っている“人との関係値”や、自分の居場所を守るためにつけている“仮面”ではないかと、監督と話し合ったんです。みんな上手に生きていると思うけれども、それに疲れていることもあるねと」
村野「そこで、主人公を高校生に設定しました。高校生は、『もう大人なんだから』、『また子どもなのに生意気なことを言うんじゃない』と、大人の都合で扱われ方がコロコロ変わる、すごく微妙な世代だと思うんです。
でも逆に考えると、『大人』になるか、『子ども』でいるかを自分自身で選択しても良い時代だと思うんです。
今の子たちは大人びているので、『大人』の方に行きがちです。でも、大人の“ぼくら”からすると、『もうちょっと子どもらしくていいんじゃない』という気持ちもあって。
だから、せめてこの映画の90分の中では、『子ども』らしい選択をして欲しいという思いを入れ込んで、作りました」
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大河内「そういう意味で、最初は敵にするはずのなかったものが、敵になった感じがありますね。本作では、さまざまな立場の『大人』が登場します。
しかし『大人』も一枚岩の存在ではなく、綾の父親の秘書である本多政彦は、心情的には子どもだけど大人側についています」
監督や大河内氏を中心に、総勢10名がシナリオ会議に参加。何度も意見を交わし、少しずつストーリーを組み上げていった。その中でも表現に気をつけたのが、子どもが大人をやり込める「いたずら」の匙加減だった。
大河内「いたずらの形も爽快感も、昔と今ではまったく違いますし、笑いに対しても、センシティブになっています。
特に原作の設定は、中学生とまだまだ子どもだし、キャラクターたちをマンガチックに描いていることもあって、大人に対してけっこうひどいことをしても笑えるんですね。
しかし映画では高校生ということで、『このいたずらはひどい』と受け取られないように、気を遣いましたね」
映画では、観客は登場人物に自分の感情を重ねて観ることが多い。「いたずら」の爽快感を出すためには、どんなキャラクターが必要なのか。次は、二転三転したキャラクターづくりについて語ってもらう。
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