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「メイドインアビス」手がけた次世代のアニメ制作会社・キネマシトラス、ヒットの秘訣や設立秘話を聞く【インタビュー】

アニメサイト連合企画「世界が注目するアニメ制作スタジオが切り開く未来」の第20弾は、キネマシトラスよりデジタル部の原田真之介さん、作画部の齊田博之さん、そしてスタジオの設立者である代表取締役・小笠原宗紀さんに話を聞いた。

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「メイドインアビス」手がけた次世代のアニメ制作会社・キネマシトラス、ヒットの秘訣や設立秘話を聞く【インタビュー】
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■創業期に助けられた人とのつながり


――先ほど、原田さんと齊田さんのお二人にキネマシトラスについていろいろ伺ったのですが、会社の草創期については、やはり小笠原さんに聞かないと判らないかなと思いまして。そもそもキネマシトラスの立上げのきっかけは?

小笠原:『エウレカセブン』のTVシリーズの終わり頃、体調を悪くしたこともあり、ボンズさんを退職しました。
その時はもうアニメ業界に戻るつもりはなかったです。

そこから半年ほど経った時、プロダクションIG時代の先輩から『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』のお誘いをいただきまして……、『Air/まごころを、君に』が好きだったので、うっかり戻ってきてしまいましたが、今思うとちょっと軽率でしたね。
色々な想いが募って、キネマシトラスをつくりました。そこから12年目です。

――キネマシトラスは設立の頃、たしか劇場映画『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』をやっていました。

小笠原:キネマシトラスの設立の準備をしていたころにボンズの動画検査の岩長(幸一)さんから電話がかかってきて、「劇場版『エウレカセブン』の制作が足りないので、おまえ、ちょっと戻ってこいよ」と言われて。ちょうど会社設立するにあたって、ボンズの南(雅彦)さんに報告に行こうと思っていたところだったんです。

ボンズを辞める時、南さんに、「漁師になりたいです。マグロを釣りたいんです」って話して辞めていましたから。

――それだと止めようがない(笑)。

小笠原:南さんは恩人なので、また、そこから始めるのもいいかな……と。それで「劇場の制作、俺がやりましょうか。でも、会社設立してからがいいです!」と話したら、「いや、ダメだ!すぐ来い!」って言われて、会社設立の準備をしながら制作をやっていました。

――比較的すっと立ち上がったようなイメージがありました。

小笠原:南さんがいろいろ助けてくれました。ラインの都合、『ポケットが虹でいっぱい』を担当したのは南さん的にちょっと助かったと思ってくれたのかもしれなくて、終わったときにボンズに来た企画から、元請けのきっかけをつくってくれました。

それが『東京マグニチュード8.0』につながるんです。今思うと南さんが会社のプロデュースもしてくれたのかなって思います。

――すると当初から順調なかたちで?

小笠原:いや、会社をつくって1~2年の間は「もうダメだ」みたいなトラブルがたくさんあったんです。それを、南さんとプロダクションI.Gの石川(光久)さんが守ってくれたので、本当に感謝しています。

ルーツって大事だな、俺は育ててもらったことを絶対忘れちゃいけないんだなって感じました。


――キネマシトラスのスタジオの名前の由来は何ですか?

小笠原:最初はネクライムっていう名前だったんです。

――(笑)。

小笠原:けれど「明日登記するけどいいよね」って時に反対があって、緊急会議で決まった。シネマじゃなくて、古い呼び名のキネマなのは100年のこるフィルムを作りたい、時代が変わっても変わらない価値観が入っているドラマを作りたいという、前からあったアイディアでしたが、小笠原宗紀のムネキをひっくり返してからキネ、松家のマ、橘のシトラス。
立ち上げメンバーの4人のうちの3人の名前が含まれていたし、『シト』って入っているのがいいよね(笑)って。
そんな理由で決まっています。そんなもんです。

■スタジオ立て直しを目指した『.hack//Quantum』3部作


――新設のスタジオはどこも大変だと思いますが、クオリティーを落とすことなく続けるのはすごいですよね。

小笠原:僕がボンズに出向していた時に、残ったチームがある作品をグロス請けで担当したんです。立ち上げのバタバタもあったけど、出来上がったフィルムが厳しい出来上がりで、ショックを受けました。

でも『エウレカ』はきちんとしたクオリティーが出ているし……、新設だったカラーでもすごい作品が作れた……。
そこで初めて、自分がそれまでプロダクションアイジー、ボンズ、庵野さんの『ブランド』で仕事をしていたんだと気づきました。

確かに知り合いにうまい人は沢山いますが、いろんな事情があって、キネマの作品になかなか参加してくれなかったんです。
そこから考えるようになったことは、会社がスタッフに対してどれだけ長く高い給料を払えるのか、安定した働き方を何年も提示することで人は初めて仕事をしてくれるんだ、ということです。

プロダクションアイジーやボンズには、やりがいや将来性があって、たとえば「自分はここにいたらキャラデになれるかも」と思える環境がある。
そういう期待値を示せていないから、このフィルムができたんだなと思いました。そこから自分の思い上がりを捨てて、仕事に対する考え方の立て直しに入ったんです。

――『ポケットが虹でいっぱい』の後が『東京マグニチュード8.0』ですね。

小笠原:『東京マグニチュード』は、橘君の初監督作品ですが、信念と若さが相まって、追い詰められた時もあったんです。
それを村田和也さんとライターの(高橋)ナツコさんが寄り添い、守って一緒に走ってくれた感じです。この二人もキネマシトラスの育ての親だと思っています。

ドラマに関しては本当に満足していますが、作画のクオリティーには決して満足はしてない。人が集まらない中でもがいて、クオリティーをちゃんと出せたのは2~3本ぐらいじゃないかな。
最終回は演出の野村和也さんが自らアニメーターさんを集めてくれて、すごい表現力……。自分の力不足が悔しいな、監督や作品のために、やっぱり高いクオリティーを目指さなきゃって思いましたね。会社経営的には厳しいですけど……。

それで1回テレビから撤退しようと思ったんです。「ダメだ、勝てねぇ」って。
それでバンダイビジュアル(バンダイナムコアーツ)の湯川さんに「OAVの仕事をもらえませんか」と無理やり頼みに行ったんですよね。
『.hack//Quantum』は3部作で時間をかけて作らせてもらったから、ちゃんと満足出来るフィルムが生まれて。これを見た別のメーカーさんからも、仕事をもらえるようになりました。

――経歴が積み上がっていくとで「信頼できるね」となりますよね。

小笠原:そうですね。今みたいに仕事が来ることはなかったですよ。世の中は「仕事をください」と頭を下げに来るやつには冷たいですよね(笑)。むしろ仕事は自分からお願いしにいくほうが価値があるものと思うみたいです。

今と全然対応が違って、会議室でお茶だけ出されて帰ることはザラでした。でも『.hack//Quantum』以降は、僕は営業らしい営業はしてないですね。若手のプロデューサーさん達が仕事をくれることが多かったです。

僕はプロデューサー気質というよりデスク気質で、求められた仕事に応えよう、これをどうやってアニメにするんだ、どうすれば面白くするんだ?から着想を得てます。
それはあまり苦にならないし、苦手なジャンルも特にないので、意外と使いやすいと思ってくれたのかもしれませんね。

――今後はどうですか?

小笠原:自分が0から1にするオリジナル作品をまだやったことがなくて、引退作で1本だけやってやろうと今、仕込んでいます。

――まだまだ先ですね(笑)。

小笠原:いやいや、そうでもないですよ。アニメは視聴者と感性が近い若手を手がかりにして作るべきだと思うので。
今後は若手のチャレンジと未熟な部分をフォローする側に回りたいと思っています。

スタジオ設立者である代表取締役・小笠原宗紀さん(御本人のtwitterより)

――本日はありがとうございました。
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《数土直志》

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