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「平成ゲームメモリアル」第1回 30年前にゲーム少年だったおっさんたちが体験した不朽の名作たち

この座談会は「平成ゲームメモリアル」と題し、各ライターの過去の体験を掘り起こし、「あの時代あんなことがあった」と振り返るものです。第1回目では「89年から95年ぐらいまで」を中心に、その時に登場した人気ゲームに纏わる想い出を語ってもらいました。

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平成ゲームメモリアル―第1回「30年前はゲーム少年だったおっさんたちが体験した不朽の名作たち」
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■スーパーファミコンの想い出―RPGと格闘ゲームブーム


G.Suzuki90年に入ると、任天堂からスーパーファミコン(以下、SFC)が発売されます。時を同じくして、セガからゲームギアも登場しており、前述のGBとGGと共に、ゲームが外へと持ち出せるようにもなってきました。

またアーケードシーンでは、88年末にナムコがアーケードで稼働した『ウイニングラン』を筆頭に、ゲーム業界でも3DCGの表現が台頭してきます。

90年からSFCが登場していますが、皆さんの思い出には何かあるでしょうか?自分は、クリスマスかそれぐらいに日を明けてスーパーファミコンと『スーパーマリオワールド』が家にあったことで、兄と共に非常に驚いた感覚が今でも覚えています。

葛西祝実は雑誌の懸賞に当たって、スーパーファミコンを手に入れたんです。衝撃的でしたね。『スーパーマリオワールド』でファミコンから比べるとリアリスティックなグラフィックになって、しかもボタンが何倍も数があるコントローラーを見たときは。子供心に文化が変わる瞬間を見た記憶です。自分にとって平成が始まったと感じた瞬間って、それなんですね。

SHINJI-coo-Kおお、コントローラーのボタンが増えたというのは確かにインパクトが強かったですね!数が増えただけにとどまらずボタン自体カラフルで。

宮崎自分のその後が形作られたというほど強烈に記憶に残っているのは『ファイナルファンタジーIV』ですね。実はマリオは家にはいなかった…という。

SHINJI-coo-Kおお!僕も『ファイナルファンタジーIV』(1991年・平成3年)には思い入れが深いです!自分は本体もソフトも所持していなくて、当時たまり場になっていた近所のお兄さん的な人の家で触らせてもらったり見せてくれたりしていたんです。自分にとってのスーパーファミコン初体験がそれなんですよね。当時のスーパーファミコンの売り文句である『拡大・回転・縮小』をフルに使っていて、当時の感覚ではゴージャスな絵面だと感じましたし、また物語も「暗黒騎士が洗礼を経て聖騎士になる」というのもなんというか心をくすぐられる……!


宮崎確かに暗黒騎士から聖騎士になる流れは秀逸でしたね。親父は暗黒騎士を倒そうとしていつまでたっても聖騎士になれないままでしたが(笑)。ただ、発売当時は小学校低学年だったので、正直何の話をしてるか全然分からなかったんですよね。なんでセシルとカインとローザがいっつも微妙な関係なのか……とか。

葛西祝たしかに『ファイナルファンタジーIV』は物語的にも、ヒロインをめぐる淫靡な三角関係も見えて「なにが起きてるんだ……?母の見てる昼ドラみたいな世界だぞ……」なんて感じてましたね。スーパーファミコンから描かれるテーマもファミコンから変わってきた印象がありました。

宮崎オープニングも淫靡な感じだったのに、王様に命じられるがまま冒険に出たと思ったら、後に仲間になる少女の母親をタコ殴りにして殺してしまうし、その親子が住む村を焼き払っちゃうし……。何が起こっているのかとか、どういう意味だったのかというのは大人になるまでピンときてませんでしたね。

SHINJI-coo-K冒頭から大きな罪を被って、というほの暗いムードで始まったり、ちょっとじめっとした雰囲気がありましたよね。途中で登場人物が亡くなったり、少し大人向けのゲームになっていたような印象があります。

G.Suzuki自分が『FF4』をプレイしたのは、もっと後の他のハードに移植された時でしたが、それなりに難しい話でしたよね。序盤の「街を焼き払うつもりじゃ無かったのに・・・」という感覚は今でも忘れられません・・・。

葛西祝スーパーファミコンから『ファイナルファンタジー』シリーズや『ドラゴンクエスト』シリーズが大きく変わりましたよね。戦争や結婚といった大人びたテーマを取り扱うようになって、ビデオゲームを映画や長編ドラマみたいな単体の"作品"として捉えるようになってきたんです。これって、プレイヤーが自分のゲームの腕前に関わらず、レベルを上げていくことで最後までクリアできて、物語の結末を見届けやすいRPGが増えたことも要因にあると思いますね。

SHINJI-coo-Kそうですね、ゲームにセーブ機能が標準化されたりしてから、ゲームを続きから遊べる文化に変わっていったと思うんですよ。そこでRPGはなんというか「ゲームクリア保証」を付けてるような感じになっていって。それでゲームが物語をきっちり率先して描くようになっていった印象があります。あくまで自分の場合は、という但し書きが要りますが、スーパーファミコンから友人なんかと特定のゲームのエンディングを語り合える機会が増えたようにも覚えています。

宮崎セーブ機能が当たり前じゃないというのは今の高校生とかには全く理解されないかもしれないですね。一生懸命文字列を紙に書き起こしてましたけど、簡単に撮ってすぐに確認できるカメラなんてものもなかったですから。

SHINJI-coo-Kスーパーファミコンの時代、つまり90年代からセーブ機能も当たり前に付いていてしかるべきものになっていって、という頃合いですよね。もちろんパソコンゲームや他機種を除外してですが、そのくらいスーパーファミコン自体にインパクトも影響力もありましたし。

G.Suzukiただ、セーブ機能がRPGを中心に搭載されていく一方で、『ロックマンX』のようにパスワードがまだあるタイトルも発売されていたため、SFCの時代はパスワードからセーブへの本格的な過渡期だったかのように思えます。


葛西祝『ロックマンX』も、ファミコンの『ロックマン』シリーズからハードな展開になったことが印象深かったですね~。いきなり先輩であるゼロが殉職して、その意思を継いで闘うストーリーになっていて。

SHINJI-coo-Kプレイヤーが実年齢を重ねるように、ゲームの作風も少年向けから青年向けに変わっていった、幅が広がっていきましたよね。『ドラゴンクエストV』(1992年・平成4年)なんかサブタイトルが「天空の花嫁」ですよ(笑)

G.Suzuki確かにそうですよね。青年向けの表現と言えば91年にはカプコンの『ストリートファイターII』がアーケードで初めて稼働し、翌年にはSFC版が発売されていますが、皆さん格闘ゲームを含むアーケードゲームへの想い出とかはあるでしょうか?

宮崎地元で周りの友達が遊び始めたのが、ちょうど93年~4年くらいだったと記憶しています。地元の商店街のおもちゃ屋兼駄菓子屋にも2台だけ並んでて、小学生でも気負わず遊べる場所があったんですね。自分も通ってはいたのですが、昇龍拳が出せなかったので、家にそそくさと帰って一人でRPG進めてました。何が昇龍拳じゃい、こちとら世界崩壊の危機が迫ってるんだ!という感じで(笑)。この前Game*Sparkでも取り上げた歌には凄く共感しましたね。



葛西祝まだ当時って駄菓子屋の隣に『餓狼伝説』とか『ワールドヒーローズ』がありましたね。よっちゃんイカ買いながらラスプーチン使っていたり。


宮崎ありましたねー。小学校低学年~中学年だと、まだゲーセンはハードルが高くて、逆に駄菓子屋ならそこまでダーティーなイメージもなかったんじゃないかな。

SHINJI-coo-K駄菓子屋やショッピングセンターにアーケード筐体が普通に置いてあった時代!お菓子を買いに行くついでかゲームを遊びに行くついでにお菓子を買うみたいな気軽な感覚で通えたりしましたね!

G.Suzuki自分はもう少し後ですが、おもちゃ屋にアーケード筐体が置いてあったので、そこでプレイ出来た感じでしたね

葛西祝アーケード筐体って、いまではゲームセンターのように限定された場所じゃないと遊べないですけど、当時はいろんなとこにありましたね。レンタルビデオ屋に『ファイナルファイト』がありましたもん。

G.Suzukiレンタルビデオ屋にあるとは…!知りませんでした

SHINJI-coo-Kあれですよ、一部フランチャイズ店のレンタルビデオ屋って中古ゲームショップを兼ねてて、それの流れでアーケード筐体を置いていたみたいなお店とかありましたよ!

G.Suzukiそんな理由もあったんですね!地元では、前記の通りおもちゃ屋にしかアーケード筐体が無かったので想像出来なかったです。他にも生まれてこの方ずっとこの市にはゲームセンターが無かったので市外に出て行ってみるまでゲームセンターは憧れの場所でしたね…

宮崎今もそうした名残のある店もあるんでしょうが、地元でかつて遊んでいた店はほぼ全部潰れちゃいましたね。

葛西祝やっぱりアーケードの流れで、家庭用ゲーム機でも『ストリートファイターII』を遊んでましたね。ただ、さっきも挙げた『ファイナルファンタジー』みたいなRPGの体験が強すぎて、対戦相手と競い合うゲームというのはあんまり肌にあわないな、と小学生のとき感じていました。自分の根本的なゲームの腕前と向かい合うことになるんですよ。それがあの頃はしんどかった。……スーファミはヌルゲーマーになる始まりでしたね。

SHINJI-coo-K『ストリートファイターII』は先ほど宮崎さんがおっしゃったのと似ていて、自分は昇龍拳が出せなくて、友達からは「歩きながら波動拳で昇龍拳になるよ」なんか言われたりしてたんですが、それができなくて対戦の前に1回挫折してます(笑)

G.Suzukiそうですよね。当時SFCで『ストII』をプレイ出来たのですが、幼少期の自分にはコマンドがとにかく難しかったのを覚えています。それでも、アーケードやSFCで販売された当初の熱気は幼少だったとしても凄かったのを覚えています。

今思えば、あの熱気から『ストII』の国技館で行われた「チャンピオンシップ'93 イン 国技館」へと繋がり、途中の暗黒時代を経て、格ゲー文化が途切れ四散してしまうギリギリのところで、『ストリートファイターIV』が出たことで文化の継承も含め日本のe-Sportsの基盤になれたのかなとふと思ってしまいますね。

葛西祝『ストリートファイターII』をきっかけに生まれた、アーケードの対戦格闘ゲームブームは、今から考えるとビデオゲームで競い合う、いわばe-Sports的な部分が家庭用ゲーム機と分離していった過程でもあったのかな、とも思います。かなり乱暴な分け方ですけど、作品として楽しむスタイルが家庭用ゲーム機で、ゲームの腕前で競い合う体験が欲しいならアーケードみたいな。

SHINJI-coo-K競技としてのゲームと、作品を味わう娯楽のためのゲームですね。

葛西祝それがプレイステーションの時代になると、より顕著になっていく印象がありますね。

各人にとっての「RPG」とは?

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《G.Suzuki》

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