「ルパン三世 PART5」のシリーズにおける位置付けとその意義 藤津亮太のアニメの門V 第39回 | アニメ!アニメ!

「ルパン三世 PART5」のシリーズにおける位置付けとその意義 藤津亮太のアニメの門V 第39回

アニメ評論家・藤津亮太の連載「アニメの門V」。第39回目は2018年4月から9月にかけて放送された『ルパン三世PART5』が、同シリーズにおいてどのような立ち位置にあるのか解説。

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『ルパン三世 PART5』が終了した。
2015年から2016年にかけて放送された『PART IV』から2年後の登場となった『PART5』。各話のバラエティに富んだ幅広さと「ルパンという存在」に切り込む終盤が印象に残るシリーズだった。

『PART IV』は『PART III』以来、約30年ぶりのTVシリーズだ。
長らく年1回のTVスペシャルを主軸に継続してきた『ルパン三世』だったが、スピンオフ第1弾となる『LUPIN the Third -峰不二子という女-』(2012)を挟んで、『PART IV』で久しぶりにナンバリングされたTVシリーズをスタートさせるに至った。
ジャケットの色も、(第2期というより)TVスペシャルの定番だった赤から青へと改められ、「新しいシリーズが始まった」という強い印象を与えるシリーズだった。

だからだろうか『PART IV』の前半は、各キャラクターの魅力を再確認するエピソードが多かった。
『ルパン三世』をリスタートするにあたって、“おなじみ”になりすぎてしまったメインキャラクターたちが「なぜ魅力的なのか」をちゃんと描こうとしていた。
一番わかりやすいのが第4話「我が手に拳銃を」で、早打ちの名手である次元に、あえて銃を持たせないことで、次元の強さを改めて印象づけるエピソードになっていた。

またシリーズを登場する準レギュラーが初めて設定された。
ひとりがセレブで現代っ子で、第1話でルパンと結婚式を挙げるレベッカ。もうひとりがMI6の冷徹なエージェント、ニクス。
このふたりは、それぞれが不二子、銭形警部と対照になることで立ち位置を明確にしつつ、レギュラーキャラクターの要にいるルパンをまた違う角度から照らし出す役割を担っていた。キャラクターというのは、絡む相手が同じだと新しい顔を見せにくいのである。

こうして改めてキャラクターの定着を行った『PART IV』は後半、ダ・ビンチという「形而上の世界に生きるキャラクター」を出してルパンと対峙させる。
“夢”というキーワードが共通することなどもあり、ダ・ヴィンチは、映画第1作『ルパン三世 ルパンVS複製人間』のマモーにも通じる要素を持つキャラクターであった。

と長々と『PART IV』の説明をしてきたが、というのも『PART5』は直前の『PART IV』を踏まえたシリーズであると考えたほうが、『PART5』の立ち位置が明確になるからだ。

『PART5』で行われたことは3つ。
ひとつは、ネットが当たり前になった時代のルパンの行動ルーティンを確立したこと。具体的にいうと、モノクル型のウェラブルデバイスを身につけて、カジュアルなレベルのハッキングなら難なくこなせるようになった。
ルパンというキャラクターとコンピューターやネットワークという要素をどう組み合わせるかは、TVスペシャル『バイバイ・リバティー危機一発!』などでも試みられていた要素ではある。だが、キーボードをパチパチやる姿はありきたりだし、ルパンというキャラクターをかっこよく見せるほうにも寄与はしない。

『PART5』では、天才的ハッカー・アミという準レギュラーの存在を補助線にしつつ、ルパン一世も着用していたモノクルに機能をもたせることで、ルパンというキャラクターの一部に自然にハッキング能力を織り込んでいた。今後、このモノクルさえしていれば、たいがいのところに侵入できる説明がつく。

もうひとつはシリーズの全肯定。
『PART5』のシリーズ構成は独特で、数話にまたがる中編エピソード4つと、各話完結の単発エピソードを組み合わせたものになっていた。
この単発エピソードは、アニメを中心に活動する脚本家ではなく、他ジャンルの作家陣が脚本を担当する場合がほとんどだった。中編エピソードが、シリーズの求心力を高める内容であるのに対し、単発エピソードは『ルパン三世』という世界を多彩な切り口で見せていく役割を担っていた。

その点で単発エピソードのトップバッターが、そのナンセンスさと昭和ノリで多くの人の度肝を抜いた「ルパン対天才金庫」(脚本は副監督の酒向大輔)が“幅”を示した意味は大きかった。そしてポイントは、この時のルパンのジャケットが『PART III』のピンク色だったということである。
今回の単発エピソードは、エピソードの雰囲気や時期に合わせて、ルパンは(青を含めた)過去のシリーズのジャケットを着用するのである。
つまり単発エピソードは、単なるシリーズの中のバラエティというだけにとどまらず、過去のシリーズが描いてきた“幅”をも肯定するという意味合いを帯びているのである。

そして3番目は、本作がクライマックスに描いたのは、レギュラーキャラクターとルパンの関係とはどういうものか、ということだった。
これは『PART IV』がキャラクターの再確認から始まったこととちょうど呼応しているといえる。

もともとレギュラーメンバーは、第2期(いわゆる「新ルパン」)の時から、意図的にセット(いわゆる“ルパン一家”)で行動するようになっている。この結果、ルパンと五エ門、不二子の間の緊張感は弱まっていた。
これを「安心感」と呼ぶか、第1期(いわゆる「旧ルパン」)と比べて「なれ合い」と呼ぶかは、見る人に大きく異なるところだが、キャラクターの再確認が行われたのなら、キャラクター相互の関係に踏み込むのは必然であった。

かくして、五エ門と次元は、自らとルパンの関係を問い、自らの行動を選ぶ。不二子も、ルパンに「ルパンにとって自分はどんな存在か」と問いかける。そしてそのひとつひとつにルパンは正面から応えていくのである。
ルパンは、ストーリー上の“悪役”であるIT起業家エンゾ以上に、古馴染みの各キャラクターと正面から対峙し、そこが本作のクライマックスなのであった。(なおルパンとの対峙こそなかったが銭形も、ルパンの逮捕の先にある“夢”を語っているところも忘れてはいけない)。

以上、『PART5』で行われたことを振り返ってみると、これは一種のリブートであったことに気付かされる。前のシリーズとの継続性もキープしつつ、シリーズの長期化でパターンに陥ってしまいがちな、レギュラーキャラクターのリフレッシュをはかる。
また作中の道具立ても、現代に馴染むようにアップデートすることで、現代性を作品に取り込みやすくする。

前作の準レギュラー、レベッカとニクスに加え、『PART5』の準レギュラー、アミとルパンの旧友にしてライバル、アルベールもまだまだ“使いで”がありそうなキャラクターだ。
レギュラーの周囲を、準レギュラーが4人取り囲む構図が可能になったことで、『ルパン三世』の世界はまだまだフレッシュに広げてくれそうな気配もある。
『PART IV』から『PART5』で出来上がったこの世界を、しばらくは『ルパン三世』のベースとして展開してもよいのではないか。

ここまで書いて、資料に引っ張り出してきた1998年(!)のムック『THEルパン三世FILES ルパン三世全記録~増補改訂版~』をめくってみると、中島紳介が「『ルパン三世』論 ルパンはどこから来て、どこへ行くのか」という一文を記していた。その文章の締めくくりはこうだ。

「できれば、常に新しい時代のルパン、さらに変わり続ける顔を持ったルパンを見たいと思う。ルパン・イズ・フォーエヴァー!」。

奇しくも『PART5』の最終回のサブタイトルは「ルパン三世は永遠に」。そこには中島が約20年前に記したものと同じ思いが込められているはずだ。

[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』がある。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。

《animeanime》

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