嵐を呼ぶアニメ討論会第1回 「ユリ熊嵐」の謎に迫る クマって?、ユリって?、嵐って?
2015年1月から放送を開始した『ユリ熊嵐』、幾原監督の最新作とあって毎回難解なストーリーが続く。本作をアニメ!アニメ!とインサイドの編集部3人で語りあってみた。
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さらに3人の話は、物語に散りばめられたいくつもの印象的な言葉、設定に進んだ。
―栗本
嵐っていうのは現象で、要は圧力というか…ユリっていうのはこの世界で異質で、社会的な圧力が透明な嵐では?
―森
そんな深い話なの!?
―タカロク
透明な嵐っていうのは一般人、いわゆる顔のない登場人物で、社会のはみ出し者がクマなのかなって思っていました。
―栗本
はみ出し者はユリじゃない?
―森
じゃあ紅羽ちゃんはユリなの?
―栗本
わからない…人間も二種類いるみたいで、ユリの子と、ユリじゃない子。ユリじゃないのがいわゆる透明な嵐って呼ばれる人たち。
―栗本
もうひとつ断罪の壁。断絶の壁と裁判は近しい存在なんですよね。電話の声は裁判長だし。
―タカロク
人間から見ると「断絶の壁」で、クマから見ると「裁判」?
―栗本
壁を超えるためには裁判をしないといけない?
―タカロク
るるの過去篇で、実際に裁判をして人間になって、壁を越えてますね。
―森
壁からの挑戦っていうのも…
―タカロク
社会に反する行動をとるのかどうか?
壁がきっとなんかなんですよね…感情の蓋かなんか
―森
境界線なんじゃないですか?普通か普通じゃないかみたいな。中には普通じゃない人もいっぱいいるのにね…普通じゃないから食べられるのかな?
―栗本
中にはユリとクマと嵐しかいない。“好き”には特殊な何かがあって、それを透明は怖がってるというか…。
―タカロク
その好きって言葉は、人間として?恋愛感情?どういう解釈。あと気になったのが、紅羽の「私はクマを許さない、私はクマを破壊する」殺すじゃなくて破壊なんですよね。
―栗本
絶対、それ感情のメタファーだ。
―タカロク
だからやっぱりクマは別のことを表しているような気がして…。
―森
クマ自体が何かの感情っていう?
―栗本
そういう作り手側の解釈はあるかも。それを物体化したのがアニメ。女子的に女の子を好きになる時期ってあるんじゃないですか?大人になる段階で好きをあきらめるか、あきらめないか。その障害がクマになるのか。あきらめないと、社会に出ていけないとか。
―タカロク
そう思うと日本における同性愛の状況を表しているようにも感じる。
―栗本
そういえば学校の配置がストレート・アライのマークなんですよね。色とか三角とか。人権の平等とか同性愛とか、作品のその辺がテーマですよね。きっと。
―タカロク
平等の中にある差別がテーマ?考えれば色々出てきそうだな…。
第2回に続く
《タカロク》