アメリカで歴史の中に“発見”された手塚治虫「アメリカにおける手塚治虫作品の受容の変遷‐後編‐
[椎名 ゆかり] 文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情 「アメリカにおける手塚治虫作品の受容の変遷-もうひとつの「手塚神話」の形成」。<アメリカで歴史の中に“発見”された手塚治虫>
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言い換えると、手塚は実際に多くの作品が出版される前に、手塚に関する情報をもとにした「手塚治虫像」が形成され、作品への需要を生み出したと言っても、それほど間違ってはいないと思われる。
前述したように、2000年代の日本マンガブームでは、むしろそのオリジンが強調され、「日本のMANGA」であることが商品としてのセールス・ポイントになった。もちろん、日本のアニメやマンガのファンクラブが1970年代にアメリカで誕生していたことからもわかるように、日本という原産国に意識的なファンは昔から常に存在していた。
しかし、2000年代以降には日本のアニメやマンガのファン層が(たとえニッチであっても)市場としてある程度の規模を持ったことで、「日本のMANGA」の歴史についての情報への需要も増加し、求められる情報の提供が行われ、ひいては、手塚の作品の出版も可能となったのではないか。
先に挙げた『地底国の怪人』の英語版『The Mysterious Underground Men』には、手塚とその作品に関する論文が作品と並んでおさめられていると書いたが、その論文の冒頭には手塚というマンガ家についての説明はほとんどない。『The Mysterious Underground Men』を手に取る読者は、既に手塚を日本マンガの歴史において重要なマンガ家だ、と知っていることが前提なのだろう。
こうして、歴史の中に見出された手塚の作品は、「マンガの神様」つまり「God of Manga」の手による作品として出版され、受容されるようになった。手塚治虫の「神話 Myth」が、日本とは別な形でアメリカでも形成されたのである(2)。
アメリカの出版社による、この手塚「神話」に基づく手塚作品のマーケティングについては別の機会に述べることにしたい。
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他にも、手塚を大きく取り上げている研究書として、
1983年『Manga!Manga! The World of Japanese Comics』1983
1996年『Dreamland Japan: Writings of Modern Manga』(邦訳版『ニッポンマンガ論-日本マンガにはまったアメリカ人の熱血マンガ論』マール社、1998年)
2004年『Manga: Sixty Years of Japanese Comics』等がある。
この他、少し古いが1993年『Adult Comics: An Introduction 』(Roger Sabin, Routeledge) には、手塚への言及があり、日本における「マンガの神様」として、「フランスのエルジェ」、「アメリカのジャック・カービー」に例えている。
この記事を書くにあたって、記事内で取り上げた以外にも以下の本を参考にした。
草薙聡志『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』徳間書店、2003年
《アニメ!アニメ!ビズ/animeanime.biz》
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