絵の具の材料は「生きもの」である。実際に塗ってみないとわからない。途中で一回、絵の具の試し塗りをする。A5サイズのケント紙に軽く水張りし、筆で横一文字にサッと塗る。濃い部分だけでなく、絵の具が水に滲んだ部分も厳しくチェックする。
色の調整に使うのは、「色見本帳」である。作業所の一角にある棚にはたくさんの色見本帳が整然と納められている。「いつでも同じ色をつくる」ためには、出来上がった絵の具とこの色見本帳の色が同じかどうか、しっかり見極めることが大切なのである。
しかし、「いつも同じ色をつくる」のは一筋縄ではいかない。「言うは易し、行うは難し」である。色の調合に完全な正解があるわけではないからだ。最終的には、自分の目で色味を見極める感覚をどれだけ鍛えられるかが勝負になる。
たとえば、オレンジ色で赤みが強くなってしまった場合は、黄色の顔料を足す。クロームグリーンに青みが入っていしまった場合も、黄色の顔料を入れる。どれくらいどの黄色を投与するかは、毎回、経験と勘が頼りである。ニッカー社員曰く、「でも、いったん“青い”と思うと、その見え方から抜けられないんですよね」。
色彩心理学では、「視覚」とは、「感情」「認知」「記憶」によって影響される知覚認識であると考える。色の知覚は「最初の思い込み」によって容易に左右されてしまうのだ。
「迷ったときには、目をつぶってから、屋外でもう一度チェックするんです」
自然光の下でみると、色味がはっきりし、感覚が戻るという。基本的な日々の訓練を繰り返すことで、わずかな違いも見極める「視覚」が鍛えられる。
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■ 「絵の具はだれのため?」―お客さんたちに会うという体験
絵の具が最も売れるのは、4月の新入学時期なので、ニッカー絵の具の繁忙期は12月から5月のこの半年間である。
この時期の本社工場はフル稼働だ。営業担当者も製品の発送を手伝ったり、普段は「仕込み」をする社員も絵の具を充填したりする。「うちは人数が少ないから、なんでもやるんです」というが、実は人数が少ないということは技術者にとってメリットが大きい。自分たちのつくっているものが、どのような工程を経て出来上がっているのか、最初から最後まで触れられるからだ。
アニメ制作現場で、プロセス全部に関わっているのは、「制作」と「演出」くらいであり、通常は、作画は作画、仕上げは仕上げ、美術は美術と、個々に作業をしていることが多い。
ところが、ニッカー絵の具では、全員が「絵の具つくり」のプロセスを経験できるのだ。素晴らしい環境だと思う。
さらに最近では、百貨店や画材店で、社員が「マーブリング・デコ」というアクリル絵の具を使った面白いアート・キットのデモンストレーションをしている。普段は本社工場で絵の具を詰めている充填部社員も、お客さんの前で説明したり、実演したりする。
「でも、やらせてみると、翌日、工場で絵の具をつくるときに変わるんですよ」
妻倉一郎社長が、意外だったと言いながら微笑む。ユーザーの反応にダイレクトに触れることによって、「自分のつくっているもの」の向こうにあるモノに気がつくのだという。
アニメ制作者も、アニメを観た子どもたちが喜んでくれると嬉しいものである。それは「絵の具」も同じなのだろう。絵の具で何か表現するときに素直に喜んでくれる人がいる。それはつくり手にとって最高に嬉しいものなのだ。
■ 数井浩子 (かずい・ひろこ)
アニメーター・演出。
/http://www.kazuihiroko.jp/
(数井浩子 公式サイト)
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